理由③翻訳が誤っている
韓国人であれば避けては通れない本に『白凡逸志』があります。
今だから言えますが、中学のときに読んでもよくわかりませんでした。成人してから、入院中にふたたび読みました。植民地時代に使われていた言葉がたくさん出てきました。
インターネットで一つひとつ検索し、意味をメモしながら読んでみたら、理解できただけでなく、著者金九〈日本統治下で活動した独立運動家であり政治家〉の愛国心が私の心にまで届きました。
『白凡逸志』は本来、ハングルと漢字が混在した文章で書かれていました。これを李 光洙〈日本の植民地時代に「無情」などを書いた小説家〉がハングルだけの文章にして読みやすくし、それを現在私たちは読んでいるのです。
ハングルにして読みやすくしたのが1947年。
当時使われていた言葉遣いと冗漫な文章を、1970年生まれの中学生が1990年代に読んだところで、きちんと読めるでしょうか? 意味を正確に理解できるでしょうか?
『ライ麦畑でつかまえて』を読んだときのことです。後輩の本棚にあったので、好奇心から読んでみました。しかし読めないのです。
このときも自分の読解力不足のせいにして諦めました。ところがどうしたことか、数カ月後にほかの出版社から出た『ライ麦畑でつかまえて』を読んでみると、するすると読めたのです。
2冊を並べて比較すると、翻訳は似ていましたが、呼吸、リズムが違いました。
今では少なくなってきましたが、以前の古典は大部分が重訳本でした。ギリシャ語、ラテン語、漢文で書かれた古典が英語や日本語に翻訳されたものを、さらに韓国語に翻訳していたのです。ほとんどが日本語からでした。このように多くの段階を経ると、意味が誤って伝わる場合もあり、読みづらくなるのです。
この問題は現在もなくなったわけではありません。アメリカの長編ファンタジー小説を読んでいたら、途中で文体が変わり、登場人物の名前も少しずつ変わっていきました。
これはおかしい。インターネットで検索すると、私と同じ不満を抱いている人が多くいました。
調べていくと、1冊の本を分けて複数の大学生たちに翻訳させていたことがわかりました。それを編集して出版したというのです。
これが出版業界の現実だとは。誤って翻訳された本は読みづらいし、意味も正確ではありません。ただただ時間とお金を捨てることになります。
翻訳家を確認しよう
ではどうすればいいのでしょう?
答えは、翻訳家がきちんと翻訳した本を探すことです。
最近では、本の折り返し部分に、著者プロフィールとともに翻訳家のプロフィールもあります。翻訳者は該当作家の言語系統の専門家でなければなりません。
ギリシャ・ローマ時代の古典は今でも重訳が多いです。
購入前にかならず翻訳家のプロフィールを見て、ラテン語の専門家であるかどうかを確認してください。そうでないと、お金のムダですし、古典に対する認識も悪くなってしまいます。
説明した3つの理由から、どんなに本を好きな人であっても、古典というとむずかしいと思い敬遠してしまうのです。古典の説明や定義、選び方、読み方を教わってこなかったために生じた現象です。
古典は、理解できればおもしろいものです。
「洞察」という言葉があります。意味は「鋭利な観察力で事物を見抜くこと」です。
文章を書く人には洞察力が必要です。
古典を通じて響きを越え、洞察へと進まなければなりません。人を理解させ、説得するだけではなく、あなたが成長するためにです。