「春眠暁を覚えず」の罠

――教養が欠如していると、中国では軽んじて見られてしまうそうですが、具体例はありますか?

近年は世代交代で減りましたが、私たちが20代後半くらいまでは、中国のビジネスの現場で「中国古典が好き」な団塊世代以上の偉い人がけっこういましたよね。それ自体はとてもいいことなのですが、自分が思う「教養」が中国人から尊敬され得るものかは別の話です。

たとえば、日式カラオケ店で「春眠暁を覚えず」で有名な漢詩『春暁』を中国語で暗唱してみせるおじさん。当然、お店のお姉さんや取引先の人たちは仕事なので「すごい」と感心したフリをするわけですが、内心は非常に戸惑っていたと思われます。

というのも、中国では時にやり過ぎなまでに、子供に大量の漢詩を学ばせます。なかでも『春暁』は幼稚園児でも暗唱させられる。なので、いい年したおじさんが暗唱するのは、日本人の感覚に置き換えると『くじらぐも』や『スイミー』の朗読くらいの感じになります。

もちろん本人が悦に入るのは構わないとはいえ、客観的にはかなり痛いですよね。教養をひけらかしたいときは、その「教養」が相手の国ではどのくらいのレベルとして見られるのかを想像する慎重さも必要になります。

角栄の漢詩、毛沢東の皮肉

――日中の外交史においても同様の事例はあるのでしょうか?

1972年の日中国交正常化の際、田中角栄は毛沢東向けてこんな「漢詩」を送っています。

國交途絶幾星霜(国交途絶 幾星霜)
修好再開秋將到(修好再開 秋まさに到らんとす)
鄰人眼温吾人迎(隣人 眼 温かにして吾人を迎え)
北京空晴秋氣深(修好再開 秋将に到らんとす)

漢詩として見た場合、文法や平仄ひょうそくがめちゃくちゃで、それっぽく28個の漢字を羅列しただけのシロモノです。田中角栄が自分で作ったことは感じられるので、この点は誠実ともいえるのですが、詩人としても知られる毛沢東は反応に困ったと思います。プロの漫画家が、素人がチラシの裏に書いた落書きを持ってこられるようなものですから。

毛沢東はこの時、田中に『楚辞集注そじしっちゅう』を送り返しています。戦国時代の楚の詩集『楚辞』に南宋の朱熹が注釈を加えた書物です。近年、日本のSNS上などで「漢詩を基礎から勉強しなおせ」という意味だったとする巷説も流れていますが、実際はもうすこし複雑なメッセージが込められていたようです。

この訪中時の晩餐会で、田中角栄は往年の戦争被害について「ご迷惑をお掛けし」と発言し、中国側から「迷惑どころではない」と強い反発を招いていました。いっぽう、楚辞には「迷惑」という単語のルーツとなる表現が含まれています。

中国側の報道を読む限り、毛沢東が『楚辞集注』を送ったのは「迷惑」の意味を考え直せというメッセージだったようです。もっとも、さすがにハイコンテクストすぎて常人には解読不能なのですが……。

中国北京・中南海の毛沢東主席の自宅で毛主席と握手する田中角栄首相
写真=時事通信フォト
中国北京・中南海の毛沢東主席の自宅で毛主席(左)と握手する田中角栄首相(=1972年9月27日、中国・北京)