「クルマが空を飛ぶ」は未来予想ではない

「そんなことはない」と否定したい人もいるだろう。「自動運転のクルマが進化すれば、空さえも飛んで無人のクルマが走るようになるだろうし、さらには宇宙空間を飛ぶロケットや宇宙ステーションも無人になり、将来は運転手やパイロットがひとりも要らなくなる。そんなの想定の範囲内じゃないか」と。

しかしそれらの予測は、単なる技術の進化の予測である。技術が進化していく先は、ある程度は見通すことができるのはおっしゃる通りである。無人の自動運転車が進化すれば、あらゆる乗りものが無人になるというのは、その通りだ。

しかし無人のクルマが普及した先に、その未来に生きている人々がどのような価値観を持ち、どのようなライフスタイルになっており、さらには人間関係や土地への感覚がどう変わっているのか。それらを予測するのは実は非常に難しい。

この難しさをリアルに認識してもらう方法として、過去から現在を照射してみるという手法がある。ガソリンエンジンで走る自動車は19世紀の終わりに発明され、100年以上をかけて進化し完成形になってきた。無人の自動運転車との比較を時系列で見ると、図表1のようになる。

Bの未来がどうなるかは、まだわれわれにはわからない。しかしAがどのような歴史的経緯を経て、どのように進化し普及してきたのかをわれわれは熟知している。だからまずAのプロセスを振り返ってみよう。

馬車からクルマに乗り替えた人々に起きた変化

ガソリンエンジンで走る自動車が発明されたのは、1870年代から80年代にかけてのことである。今でも自動車メーカーに名前の残っているダイムラーやベンツが別々にガソリンエンジンを開発し、走行実験を行った。このとき自動車は、「馬車の進化版」くらいにしか思われていなかった。当時の陸上交通の中心は馬車だったからだ。

ガソリンエンジンの出力に馬力(horse power)という単位が使われているのはその名残である。自動車は馬車よりも速く、ガソリンを補給すれば疲れることなくどこまでも走り続けることができる。おまけに馬のように路上に糞をすることもない。

しかし自動車は、単なる「馬車の進化版」であるだけでなく、その後の社会やライフスタイルなどを大きく変えることになった。

少し時代をさかのぼると、18世紀にイギリスで始まった産業革命で蒸気機関が発明されると、それまで川の水力や馬を使って行われていた仕事が、蒸気機関で行えるようになった。糸をつむいで布をつくる紡績機械はそれまでは水力で動いていたので、かならず川のそばに工場をつくる必要がった。

しかし蒸気機関ができたことで「川のそば」の制限はなくなった。労働者がたくさん集まれるところに工場がつくられるようになり、それによって都市化が進んで人口が増えていくということが起きた。これは都市を過密にし、産業革命を牽引したロンドンなどでは住環境が著しく悪化して健康被害が多発するという副作用もあった。