音響カプラを持ち歩いていた頃
サイバー世界に最初に踏み込んだのは平成維新の活動をしている頃だ。93年からパソコン通信サービス「ニフティサーブ」の中に「平成維新フォーラム」というコミュニティを立ち上げて、見知らぬ人と意見交換や議論をするようになった。
当時はかな漢字変換もうまい具合にはいかない時代である。誤字脱字だらけだし、ログファイルを読み込むことも相当な熟練度が要求された。
私はフォーラムの運営を管理するシスオペ、つまり「村長さん」を95年までやっていた。村長だから世界中どこにいてもコミュニティの状況に常に目を配らなければならない。新しいニュースが飛び込んでくれば、すぐに言いたいこともある。
しかし当時はサーバーも回線も弱い。通信スピードで言えば毎秒1200ビットの時代である。今のようにリアルタイムでネットにつないだまま何でもできるというものではなかった。自分でデータを一旦取りに行って、手元のパソコンにダウンロードし、並べ直さなければならかった。
90年代の海外旅行ではアタッシュケース一杯にいろいろな通信用デバイスを持ち歩いていた。各国でモジュラージャックの形が違うのはもちろんのこと、アルゼンチンなどは電話線が壁の中に埋め込まれていて引っこ抜けない。仕方がないから電話の「ピーヒョロ」という音をマイクで拾って電気信号に変換する音響カプラーにつなげたりしていた。
10年近くはそんな苦労の連続だった。
(次回は「大前流ネット・リテラシー(2)オフ会の経験」)
(小川 剛=インタビュー・構成)