私にはなぜITがわかるのか

1994年、Windows95 が世に出るよりも先に、大前さんはインターネットの可能性を予見し、1冊の本を書いた。

福島第一原子力発電所の事故が起きてすぐ、私は 動画共有サイト Ustream を通して、今、福島で何が起きているのかを解説し、発信した。その映像は YouTube 上でも公開し、今でも見ることができる。政府も東京電力もマスメディアも判断停止になっていたあのときに、ネットを使ってすばやく情報を発信できたのは、私が原子炉のエンジニアだったということに加えて、私自身がPCからネット上のサービスに至るまで、ITツールのヘビー・ユーザーだということが理由だ。

1990年代の前半だったと思う。ニューヨークから東京に帰るとき、JALのラウンジで、当時ロータスの会長だったジム・マンジに偶然会った。その10年ほど前、彼はマッキンゼーで私と一緒に日本企業の対米進出プロジェクトを担当していた。

マンジは機内でパーサーと交渉し、いつの間にか私の隣に座り「これを見てくれ」と言う。寝不足だった私は食事が終わったら寝てしまう予定だった。ところが隣に座ったマンジは、鞄からコンパックのパソコンを取り出し、「今、開発中のプログラムをぜひ見てほしい」と言って、延々とそのデモを始めたのである。そこには、データベースの共有から秘書や部下との連絡メモまで、オフィスで行われることがすべて入っていた。その後、アメリカで爆発的にヒットし、在宅勤務などが急速に拡大するきっかけとなったグループウエア「ロータス・ノーツ」である。

私は、これは業務の革命になると直感した。マンジを連れていくつかの日本企業を回り、普及活動を行った。93年にノーツの日本語版が市場に出た。

ネット時代の到来で国家、企業、個人がどう変わっていくかを予見した『インターネット革命』を書いたのは、そのすぐあと、1994年(刊行は95年1月)のこと。当時はまだインターネットは今のように普及しておらず、パソコン通信が全盛のころだった。インターネットの世界では「個人」が中心になる。あらゆるサービスは——今でいう「クラウド」として——ネットの中に統合される。私はそのように考え、『インターネット革命』の中にこう書いた。

《いま動き始めた「パソコンをつなげたネットワーク」の中心には必ずしもデータベースはない。ネットワークそのものが中心なのである。ネットワークの中には、最初から答えは用意されていない。だが「こういう問題がわからない」と質問をすることで、文字通り“衆知”を集めて、今までなかった答えを皆で生み出していく可能性がそこにはある。その「衆知を集める」ときに、時間的、空間的(さらにはコスト面での)限界を大きく広げることが電子ネットワークの特徴である》

今から振り返るときわめて幼稚な内容だったと思うが、それでもいまで言うクラウドコンピューティングとクラウドソーシングの基本概念を記述している。一方、本は驚くほどよく売れてかなりの人が好意的であったが、経営者の方々の反応はいまいちで「これは想像を絶する世界ですね」「我々が生きている間にはこんなことは起きませんよね」というのがほぼ100%近い反応だった。

しかし5年後には本書の内容はすべて現実化していた。