サイバー社会の人間観察

右から『ボーダレス・ワールド』(1989年刊)、『インターネット革命』(95年刊)、『新・資本論』(2001年刊)。

1993年にパソコン通信のコミュニティ「平成維新フォーラム」を立ち上げ、長らくコミュニティリーダーをやってきたので、現実社会とはまったく異なるサイバー社会の特性のようなものをつぶさに観察することができた。日本を変えていくためにサイバー社会をどう活用すべきか、サイバー社会で組織を動かするにはどうしたらいいか、私は無限に興味を持ったし、いろいろな実験ができる立場だったので、それも試してきた。

政策や最新のニュースについて、顔も知らない人間同士が文字だけで議論をする。それはインテリジェンスだけの戦いである。異常にエキサイトして他人を攻撃したがるサイバー変質者が紛れ込んで、フォーラムが荒れて苦労することもあった。

サイバー空間には、クルマで言うところの「ハンドルを握ると性格が変わる人」がいる。ふしぎと属性は似ている。今まで自分の意見を聞いてくれる人がいなかった。電子町内会で初めて聞いてもらえた。そこで突然エキサイトして怒鳴りつけ、人を攻撃するのだ。

私はもともと偏見のない人間なので、何人か会ってみた。ひとりは塾の先生だった。「私はいつも子どもたちを相手にしているので、こういう口のきき方になるんです」と言う。つまり対人関係にまったく慣れていない。開業医にもそういう人がいた。旦那が話を聞いてくれないというフラストレーションを持つ、地方都市の金持ちの奥さまもいた。

それでも、集まってくる98%の人々の意見は密度が非常に濃く、私は大きな可能性を感じていた。

驚くようなサイバーリーダーシップを振るう人もいれば、相当な田舎から非常に優れた意見を寄せてくる人もいる。どういう人たちなのかと興味を持って、オフラインで会って一緒に呑み、人物研究をした。

そこでは意外な印象を受けた。実社会ではエリートでもなんでもない人たちなのだ。万年平社員だったり、地方の小さな役場の補助職員だったり。失礼ながら、社会的に埋もれたような人が多かった。

そうした人たちの声まであまねく集積するサイバー社会に強い可能性を感じた。この可能性を上手く使った個人が勝つ。この可能性を上手く使った会社が勝ち、国家が勝つという見立てで、『インターネット革命』を書いた。