時間予測モデルは最初から破綻していた
今村論文の原典となった古文書は、江戸時代に港を管理していた久保野家に保管されていた。中でも「室戸港沿革史」と呼ばれる古文書は、時間予測モデルのデータの正確性を解き明かす記録の宝庫だった。
室戸は地震が起きるたびに隆起するため、港の水深が浅くなり、そのたびに港の掘り下げ工事が行われていた歴史があった。それを示す室津港の水深の測量記録のほか、港の工事に動員した労働者や海底を掘削する道具の記録、港の呼び名や地名の名前の由来にもなる工事の歴史が残っていた。
さまざまな証拠から、今村論文が基にしたという江戸時代の港の水深は、地震後に掘り下げ工事が行われ、港の水深が人工的に深くなった時の数値だった可能性が判明する。島崎モデルが基にした今村論文のデータは不正確だった。つまり、時間予測モデルは最初から破綻していたのだ。
「地震の発生確率」はまったくあてにならない
今村論文が発表されてから90年間検証されていなかった元データに小沢記者、そして橋本氏がメスを入れ、科学の基本でもあるデータの精度を確かめた功績は大きい。
この先、南海トラフの発生確率の算出方法が見直しされる可能性はあるのか。小沢記者は「懐疑的ですね」と答える。
「それを問う以前に、発生確率を基に作っている全国地震動予測地図を出すことの意義がない。このところ、むしろ確率の低いとされてきた地域で地震が発生していることが、それを示しています」
今年1月1日に最大震度7を観測した能登地震も、2020年時点で今後30年内に震度6弱以上の揺れが起きる確率を「0.1~3%未満」と評価されていた。石川県はこの長期評価に基づき、確率が低いことをPRして企業誘致していたことも判明している。
冒頭に紹介した名古屋大学の鷺沢教授は「赤く色分けされた南海トラフ沿いの地域や首都圏以外は『安全』と国民に誤解されることにしかなっていない。防災という観点では、ハザードマップは逆効果になる」と話す。一体、「逆効果」とは、どういう意味なのだろうか。
(後編に続く)