当時の江戸の本屋は「やりたい放題」

江戸の出版界には二つのタイプがあった。もともと文化水準・経済水準が高かった上方(京都・大坂 ※現在の大阪)の資本が経営する専門書を主に扱った「書物問屋(書物屋)」と、江戸時代中期以降急速に発展した、江戸の資本が経営する大衆書を主に扱った「地本問屋(地本屋)」である。蔦重の耕書堂は、もちろん後者であった。

大衆書とは、絵入り小説の草双紙(子ども向けの赤本という絵本から始まり、大人向けの黒本・青本と発展し「黄表紙」「洒落本」「読本」「滑稽本」「人情本」につながる)や浄瑠璃本、各種案内書などを指す。