小泉氏が本命視されたことで、序盤は小泉氏を標的にとした報道が突出し、9人の総裁候補による討論会でも小泉氏への追及が相次いだことも影響したとみられる。

決選投票は国会議員票の重みが格段に増す。小泉氏が上位2人に踏みとどまって決選投票にさえ勝ち進めば、相手が石破氏であろうと高市氏であろうと、優勢は揺るがない。第一回投票で敗退した7陣営が「勝ち馬に乗る」ことを競って小泉氏に雪崩を打つ展開も予想される。

高市氏が「初の女性首相」になるための条件

けれども小泉氏が第一回投票で3位に沈み、「石破vs.高市」の決選投票になる可能性も十分にある。石破氏も高市氏も国会議員の間では不人気のため、決選投票の行方は予断を許さない。どちらが「勝ち馬」なのか国会議員たちも読み切れず、どちらに投票するかギリギリまで迷うことになろう。高市氏が「初の女性首相」に就任することが現実味を増してくる。

告示前まで泡沫扱いされていた高市氏は、なぜここまで追い上げてきたのか。そして大逆転の可能性はどのくらいあるのか。考察を進めていこう。

高市氏の初当選は、自民党が下野した1993年の衆院選だ。安倍晋三元首相や岸田文雄首相と同期である。ただし高市氏は自民党公認ではなく無所属だった。96年の衆院選は新進党公認で当選した。その後新進党を離党して自民党に移り、清和会(現安倍派)に身を置いた。

だが、自民党は「外様」に冷たい。高市氏が自民党や清和会に溶け込むのは並大抵ではなかった。清和会会長の森喜朗氏が首相に就任した時は「勝手補佐官」を自称して支持率が低迷する森内閣を懸命に応援したが、2003年衆院選は奈良1区で落選。同じく清和会出身の小泉純一郎首相が郵政民営化法案の否決を受けて衆院を解散した05年の「郵政選挙」で、自民党の造反議員への刺客として奈良2区へ鞍替え出馬し、国政に復帰した。

フィリピンドゥテルテ大統領と会見に臨む安倍首相(いずれも当時)
高市氏(右)の左隣に立つ「かつてのライバル」稲田朋美氏。安倍首相とフィリピンのドゥテルテ大統領(いずれも当時)の共同会見に同席した。(写真=首相官邸/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

脚光を浴びる稲田氏、「二番手」だった高市氏

高市氏はその後、清和会ホープだった安倍氏に付き従う。2012年の総裁選で当時の清和会会長だった町村信孝氏ではなく、安倍氏を支援するとして清和会を離脱した。それが認められ、安倍政権で女性初の政調会長に抜擢され、総務相にも起用された。「外様」の高市氏は、最大派閥・清和会の親分である森氏や安倍氏に忠誠を示すことで、出世の階段を一歩一歩のぼってきたのである。

しかし、安倍氏が寵愛したのは高市氏ではなく、05年の「郵政選挙」で初当選した稲田朋美氏だった。稲田氏は政調会長や防衛相に次々に登用され、安倍氏の一番のお気に入りと目され、右寄りの安倍支持層にもてはやされた。この間、高市氏の影は薄かった。清和会の後輩である稲田氏が脚光を浴びるなかで、高市氏は「二番手」として、じっと耐える日々が続いた。