数々の選手によるアメリカ挑戦の歴史

またこのAJSAには40年以上の歴史がある。設立者は秋山弘宣、通称アキ秋山と呼ばれる日本初のプロスケーター。1975年にアメリカで開催された第1回スケートボード世界選手権に出場し、5位に入賞して以降カルチャーの発展に幅広く尽力してきた人物で、堀米雄斗を2010年から約2年サポートした経験も持つ。本場アメリカに拠点を置き、オリンピック2連覇というスケーターの最高到達点にいる人物の成功の裏には、アキ秋山さんから続く数々の選手のアメリカへの挑戦の歴史と、それを日本のシーンへと還元する活動の積み重ねがあったことも付け加えるべきだろう。そこに日本文化が融合し、発展を遂げた「コンテスト」と「スクール」が互いに相乗効果をもたらしていることが、今の日本の強さの根源となっているのではないだろうか。

ここまでは国民性のポジティブな側面を紹介してきたが、決して良いことばかりではない。勤勉であることは、言い換えれば日本人が規則や仕組みに従順であることの裏返しと捉えることもできる。すると派生的に「横並び主義」が生まれてしまうのだが、これが個性に溢れたスケートボーダーを生み出す上で弊害になっているのでは? と思うのだ。

AJSAの一年の総決算、全日本アマチュア選手権
筆者撮影
AJSAの一年の総決算、全日本アマチュア選手権。8人のプロ昇格権をかけ、毎年多くのドラマが生まれている。今年は11月初旬に三重県で開催される。

マニュアル化の行き過ぎは頭打ちを招く

日本社会は小さなことにもマニュアルがある。マニュアル通りに行えば効率は上がるし、一定の品質は保てる。だが規則でがんじがらめにすると、今度は個人の主体性が制限されてしまう。

スケートボードで言うと、スクールやコンテストのシステムが整っていることはポジティブではあるが、するとその流れに乗ってビジネスベースだけで指導マニュアルが作成され、カリキュラムを組むところも出てくるだろう。

定められた枠の中での練習は、確かに平均レベルは上がるかもしれない。だが個人で得意な動きは違うし、それが明らかになっていっても、皆が定められたひとつのカリキュラムをこなすことは、必ずしも最良の選択肢とは限らない。しかもそういった環境下で育つことで「このトリックは上級レベルになっているから得点が高い。だから自分もやる」という発想になってしまっては、ちょっとでも新しいトリックを成功させた方が価値のあるこの世界では、頭打ちになってしまう可能性も否定できない。