「自分が死んだ後の未来なんて、どうでもいい」
いずれにしても「自分で得たものは、自分ひとりで使い切る」という社会観から、「子どもや孫のために自分が得たものを与え、継承していく」という社会観への移行ができるようなライフイベントを氷河期世代に適切に提供してこなかったこと――それがいわば遅効性の毒あるいは時限爆弾のように、日本社会に大きな禍根を残すことになる。
氷河期世代からすれば「次世代のことを考えて政治的な意思決定をしてくれ」と頼まれても、「なんで自分が死んだあとの、自分とは縁もゆかりもない連中のことを考えないといけないんだ?」と考えてしまう人も少なくはないだろう。繰り返しになるが私はそれを責める気にはならない。そういう考えを持つ以外のライフコースを用意できなかった社会にも相応の責任があるからだ。
大げさな表現をすれば氷河期世代は、これまで自分を虐げてきた日本社会に対する復讐のスイッチを手にしている。これを押さずに捨てることもできるし、押すこともできる。
2040年ごろには、かれらを「ロスト・ジェネレーション」にしてきた世代も完全に世を去っている。
そのときには、否応なく選択が迫られる。