「買う側」としてはちゃっかりアテにされている

政治的・社会的・経済的には見棄てられているといっても過言ではない氷河期世代だが、しかしかれらは日本にとって「最後の人口マス層」という特性がある。

アニメやゲームの「リメイク(リブート)」作品が近ごろのコンテンツ産業では活発に発表されているが、そのほとんどは氷河期世代の多感な少年時代を彩った作品ばかりである。かれらは社会に出た直後を挫かれて見放され、その後のライフプランを大きく狂わされながらも、しかし人口ボリュームの大きさゆえの「マーケット」としてはちゃっかりアテにされており、当人たちが多感な時期に流行した思い出の作品の復刻版を令和の時代にも擦られつづけている。

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写真=iStock.com/Nanci Santos
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かれらより下の世代は少子化が著しく、またインターネットやSNSの発達にともないコンテンツも多様化の一途をたどっており、「その時代を代表する作品」が生まれにくくもなってしまったため、氷河期世代向けのリメイク作品ほど「マーケット」が大きくなく、採算性が見込めないのもある。

団塊世代が去った後は、氷河期世代の影響力が増大する

色々な意味で不遇な扱いを受けつづけてきたかれらだが、しかしながら先述したような人口ボリュームの大きさによって、今後の日本の未来の行く末を占う重要な役割を持つようになる。

いまそのほとんどが後期高齢者となった団塊世代はあと十数年もするとその大部分が世を去り(世を去らないで長生きしている人も投票行動は大幅に縮小していき)、氷河期世代の民主主義における発言権や影響力は相対的に急激に上昇することになるからだ。

豊富な金融資産をたくわえた高齢世代の遺産は、いきなり氷河期世代に継承されるよりも前に、バブル世代へとワンクッション継承されるが、そのあとは氷河期世代にもそのバトンが巡ってくる(もちろん相続税などが発生するため取り分は世代を継承するごとに小さくなってしまうだろうが)。自分たち後進世代を好き放題に「搾取」するスキームをつくってきた先輩世代が世を去り、その搾取スキームだけが残されることになる。