究極の心理戦術「鳥取城の渇え殺し」とは

秀吉の鳥取城攻め(鳥取城の渇え殺し)を『信長公記』や江戸中期に書かれた香川景継の『陰徳太平記』(史料的価値は低い)などを参考に詳述していこう。

鳥取城主の山名豊国は、織田氏と毛利氏とのはざまで去就を決めかねていたが、天正8年(1580)、秀吉が大軍で鳥取城下に迫り、「織田に臣従するなら因幡一国を安堵するが、逆らえば人質を全て殺す」と伝えてきた。