執筆のきっかけは「フクシマ」だった
【水林】本を出版した後に起こることも日本とはまったく違って、作家はフランス各地の大小さまざまな書店の招待を受け、読者との討論会にのぞみます。日本でも作家が書店に呼ばれてトークイベントが開催されることはあるようですが、作家は「先生扱い」をされますよね。ところがフランスでは、書店のスタッフや読者と対等な立場で、自著についてディスカッションをするのが印象的です。
ぼくはフランス語で本を出版したことによって、大学でフランス語を教えているだけでは決して知ることのできなかったことを、たくさん経験することになりました。フランス「社会」を内側から経験したと言ってもよいと思います。
フランス語で書いた最新の小説、『忘れがたき組曲』が出版されたのは昨年の8月ですが、すでに書店やブック・フェアに40回以上呼ばれて、読者の質問を受けたり、他の作家と議論を交わしたりしました。ゴンクール賞のセレクションに入ったことから、フランス全国の高校生と交流したり、あちこちの刑務所に出かけて受刑者と討論するという経験までしました。フランスはとにかく、「議論の国、討論の国」なのです。
フランス語で著書を発表することによって、フランス語を教えるだけでなく、まさに「フランス語を生きること」になった水林さんが、『日本語に生まれること、フランス語を生きること』を執筆する契機となったのは、フクシマだったという。
奇しくも2011年の3月11日、水林さんは日本からフランスに向かう飛行機に搭乗していた。水を飲みに飛行機後部のビュッフェに行ったとき、CAが「地震があったみたいです」と言ったのが印象に残っているという……。
首相が118回虚偽答弁をしても抵抗が起こらない日本
【水林】フランスに到着すると、空港の巨大なモニターに大変な状況が映し出されているのでびっくりしました。その後およそ3週間、フクシマ原発事故の状況をパリでずっと注視し、不安な毎日を送りました。3月の末に帰国する際には、国が壊滅しかねない大惨事を前にしているのだから、日本でも原発の是非について国民的な規模での大議論が巻き起こるのではないかという気持ちを心に秘めていました。
ところが、事態は全然そのようには展開しませんでした。まして、原子力政策を推進してきた自民党に対する疑義なんて、ほとんど出てこない。これほどの危機的事態にいたっても、何事も起こらないのかと、正直驚きました。一時、大江健三郎や鎌田慧といった人たちが中心になって署名活動やデモが組織されましたが、一時の盛り上がりにもかかわらず、結局のところ、事態はフクシマなどなかったかのように進展しました。オリンピックの招致など、ぼくの目には集団的記憶からフクシマを抹消する試みのように思えたものです。
2012年に第2次安倍晋三内閣が成立すると、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めてしまうといった政治の破壊、政治の私物化が次々と強行されていきました。はなはだしいのは、安倍首相による国会での118回にも上る虚偽答弁です。もしもフランスの政治家について同じようなことが発覚したら、大きなデモが起こって辞任に追い込まれるのではないかと想像します。
ところが日本では、こうした恐るべき腐敗状況が存在するにもかかわらず、国民の側から有意な抵抗が起こることがなく、なし崩し的に物事が進んでいくのです。なぜ、この国では何事も起こらないのか? この、白井聡(政治学者)言うところの、「完成した奴隷根性と泥沼のような無関心」の根本にはいったい何があるのか?
こうした疑問を抱いたことが、『日本語に生まれること、フランス語を生きること』を執筆するきっかけでした。