善と悪を見極められず、大手広告主は失望

本人がどう思っているのかわからないですが、私から見たイーロンは、「人の心がわからない人」なのではないかと思いました。そういう人が、どのようにサービスというものを理解しているのかは不思議です。

PayPalは決済サービスだったので、おそらくイーロンも理解しやすかったのでしょう。あくまで「機能」なので、そこに哲学や思いのようなものは入り込みづらい。しかしTwitterに世界中の人が投稿する言葉には、ヘイト、誹謗ひぼう中傷、ウソなどが入りこんできます。

Twitterとしては、そうした「悪」をそのままにしてはおけません。しかし、安易に削除すればいいとも限らない。つまり、「何が善で、何が悪か」を峻別しゅんべつする絶妙なハンドリングが必要になってくるのです。

イーロンの買収後、アメリカの大手広告主が離れてしまったのは、「Twitterの運営ポリシーが不安定になってきた」と思われたからです。ポリシーは、ものすごくユーザーに影響があり、善と悪をどう見極めるかということに関わります。そこを彼は若干、踏み外してしまったのかもしれません。もしくは「踏み外した」と思われたから、広告主が離れたのです。

Twitterのようなサービスには向いていない?

一方で、イーロンはわかりやすい基準も示しています。それは「法律に抵触しないものは了承する」というものです。たしかにそれは「究極の表現の自由」と捉えることもできます。だからある意味、彼のストーリーテリングは正しいという見方もあります。

しかし、それでは広告主には受け入れられなかったのでしょう。

「何が善で、何が悪か」を峻別する絶妙なハンドリングを追い求めることが、Twitter運営の難しさです。そして、つねにそれを追求する考察力や倫理力などが求められる。

テスラやスペースXなど、テクノロジーがエンジンになるものに関しては、イーロンは大得意です。しかし、人間の心の機微を絶妙に読み解かなければならないTwitterのようなサービスは、もしかしたら向いていないのかもしれません。