「こころ動くものがなかったんです」
照井涼香(てるい・すずか)さんは岩手県立盛岡第二高等学校2年生(文系コース)。同校の文系は3年生からは数学を必要とするコースと、そうでないコースに分かれる。照井さんは前者に進む予定だ。盛岡二高は1897(明治30)年に盛岡高等女学校として創立。卒業生は「白梅」と愛称で語る伝統のナンバースクールだ。終戦後の昭和26年に現校名となった。その前年に男女共学となっているのだが——。
「わたしの高校は共学なんですけど、実態は女子しかいないんですよ。男子トイレはいちおうあるんですけど『生徒使用禁止』って貼り紙が(笑)。たぶん二高では、60年近く男子生徒がいません。暗黙の了解的な感じです。友だちのおじいちゃんが二高の卒業生って話を聞いて、本当に男子生徒がいたんだなって感じです(笑)。盛岡市民でも共学じゃないって思っている人はたくさんいると思います」
つまり男子が受験しないのだ。地方の名門ナンバースクールが共学化を迎えようとすると、たいがいは卒業生が抗議運動を起こす。それでいて、けっきょくは共学になる(仙台はその例だ)。だが、盛岡という街のひとびとの流儀は、それとは少し異なるようだ。
さて照井さん、将来は何屋さんになりたいですか。
「私は都市計画をしたいです。中学校の時にお姉ちゃんの就職の関係で、初めて横浜に行ったんですけど、そのときに、今までになかった『まち』に関する感情が自分の中で出てきて、なんか……」
「まち」は「町」ですか。それとも「街」?
「ぎょうにんべんのほうです(笑)。今まで盛岡に住んでたり、仙台とかに遊びに行っても、何もこころ動くものがなかったんですけど、横浜のみなとみらいに行って、この街何だろうっていうかんじになって。そこからすごい横浜っていう街が好きになって。最近もちょくちょく遊びに行ったりするんですけど、そのたびに、将来この街に住みたいと思うようになってきて。横浜についての本とかを読んで、すごいグローバルな街だということを知って、そうしてるうちに都市計画というものに興味を持って。最初盛岡とか東北で都市計画の仕事を考えていたんですけど、関東のほうって進んでるじゃないですか。次のステップに行かなきゃと考えたとき、盛岡とかはあんまり進んでないから、進んだ街を見て学んでくればできるかなと思って」
先回りして訊きます。都市計画がやりたくて横浜が好き。志望は横浜国立大学ですか。
「最初は視野に入れてました(笑)。でもちょっと学力が……あそこは高いので……。とりあえず都市計画をするにあたってのプランニングの仕方とかを学ばないといけないと思っています。大学は行きたいです。今、2つで迷ってるんですけど、横浜市立大学の国際総合科学部にまちづくりコースが今年からできたんですよ。横浜で学ぶには、もってこいだなと思ってるんですけど、そこもちょっと学力が高いから頑張りたいなって感じで。あと現実的に見ているのが宮城大学の事業構想学部」
仕事をするときには、どこに住んでいますか。
「横浜か、もうひとつ考えているのが、大宮もいいなと。行ったときに思ったんですけど、駅周辺のかんじとか、すごいなと」
海外に住むという考えは。
「留学とかはしたいんですけど、海外は住む場所じゃない気がします」
照井さんのお父さんは岩手銀行のボイラー管理のお仕事。お母さんは岩手日報でパート。照井さんは三きょうだいの末っ子で、姉は千葉の柏に住んで官庁勤め、兄は盛岡の法律専門学校に通っている。照井さんは震災から1年と少し経った2012(平成24)年4月末に、家族で宮古に行った。それが震災後最初の沿岸部行きだったという。
(明日に続く)