だから私は怪談を語り続ける

戦争が終わってから、今年で79年になります。

生々しい体験が歳月の経過とともに歴史となり、戦争にまつわる怪談の性質が少し変わってきたように感じます。次の話も、非常によく語られる戦争怪談の類型です。

原爆の爆心地近くの公園で、大学生グループが飲み会を開いていた。夜が更けてあたりが真っ暗になると引きずるような足音が近づいてくる。何かと思って懐中電灯で照らしてみると焼けただれた人の顔が浮かび上がった。驚いた大学生たちは這々の体で逃げ出した。

しかし、その翌朝、彼らは原爆の悲惨さに思い至り、自分たちの不謹慎を反省して、再び公園に行き、原爆の犠牲者を悼んで手を合わせる――。

かつては夫や息子への悲しみや愛おしさを記憶するための怪談が、歳月を経て教訓を伝える話になったと言えばいいでしょうか。

そう考えていくと怪談はただ人を怖がらせるだけの話芸や文芸でも、妄想や空想でもありません。怪談には、歴史に記録されなかった個々人の悲しみや怒りなどの感情を伝え、癒やす役割もあり、災禍の教訓を後世に伝える装置にもなりうる。

それが、私にとっての怪談の魅力なのです。

(インタビュー・構成=ノンフィクションライター、山川徹)
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