仕事は公私混同でやるべきだ
配属は週刊誌の『アサヒ芸能』。記者になりたいわけではなかったけれど、仕事は面白かった。芸能から政治、暴力団まで、あらゆるテーマの事件をリポートします。この仕事で、リアルにモノを捉えることの大切さを学ぶのです。
アニメにはまったく関心はなかったのですが、29歳のとき、先輩の名物編集長に呼び出され、アニメ雑誌の創刊を手伝ってほしいと言われます。これもまさに、偶然、の出来事でした。
なぜアニメ雑誌なのかと編集長に聞くと、息子が『宇宙戦艦ヤマト』のファンだったからだと言われます。鈴木さんは笑ってしまったそうです。仕事は公私混同でやるべきだと、このときに教わったと語っていました。
スタッフはみんなアニメの素人でしたが、自分たちが面白そうなものを記事にしていくと、部数はどんどん伸びていきました。
しかし、売れる雑誌はやりたいことがやりにくくなる。それで部数を落とそうと、まだ無名だった宮﨑駿さんを40ページの大特集で展開したそうです。
少ない努力で大きな成果になるから面白い
宮﨑さんを教えてくれたのは、アニメファンの高校生。
宮﨑さんの映画を観た鈴木さんはびっくりして、直接、会いに行ったそうです。
すると、とにかくウマが合った。気がついたら延々と2人でしゃべっていた。一緒に仕事ができたら楽しいだろうな、と思ったそうです。ただ、当時はまだまだ無名。宮﨑さんが世に出る可能性なんて、まったく考えていなかった。
映画の仕事をするようになったのは、自分たちで作品を作ったら取材も簡単だろう、という思いからでした。こうして生まれたのが、『風の谷のナウシカ』でした。
映画づくりは面白かった。少ない努力で大きな成果を挙げられる仕事が、鈴木さんは好きなのだと語られていました。その実現を目指しているのだと。
最初から映画を作ろうと思ったわけでもない。
アニメに関わりたいと思ったわけでもない。
偶然と小さな出会いを大切にしたことが、世界的な名作を次々に生み出すプロデューサーになるという驚くほどの結果を生んだのです。