尊敬する「帰化選手の先輩たち」の存在

そこからは真剣に日本語を勉強し、帰化の申請プロセスに入っていきました。多くのアメリカ人選手たちがオフシーズンに入ると帰国する中で、僕は日本にとどまっていました。なぜかというと、帰化をするには日本への在住実績も問われますし、さらにこの頃には新型コロナウイルスが世界的に蔓延していて、もしアメリカへ帰国してしまうと入国制限などで日本に戻ってこられない恐れがあったからです。

また、僕が帰化申請を決意した背景には、ニック・ファジーカスさん(元川崎ブレイブサンダース)の存在も欠かせません。彼はネバダ大学時代にはすばらしい活躍をし、その後、NBAでもプレー。そして日本に来て多くの人たちから愛され、2018年には帰化をして日本代表でも成功を収めました。

それを見てきた僕としても「彼のようになれるのでは」という思いを抱くようになったのです。

同じく「帰化選手の先輩」として桜木ジェイアールさん(現富山グラウジーズスーパーバイジングコーチ)からも多くを教わりました。僕が日本に来た時、彼はまだ現役で、シーホース三河でプレーしていました。当時、僕が所属していたファイティングイーグルスのチームメート栗野譲さん(現島根スサノオマジックアシスタントコーチ)と仲が良く、紹介されたのです。

日本人になるには日本語能力が欠かせない

その後、僕はジェイアールさんとよく話すようになり、彼の家に行くようにもなりました。若い選手たちの面倒見もすごく良く、僕も尊敬しています。日本に帰化した選手のパイオニアの1人ですから、僕が帰化を考えるのに大きな影響をもたらしたといって間違いありません。

こうして、長く大変な申請の過程を終えて無事、日本国籍を取得することができました。ちなみに、欧米の多くの国々では誰かが帰化をする時、必ずしもその国の言語を話せる必要はないのですが、日本では日本語の能力が要求されます。「なぜ日本人になりたいのか」の作文を日本語で書く必要もありました。

手書きでLearn Japaneseと書いてあるノート
写真=iStock.com/designer491
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こうした厳しいプロセスを通り抜けてきたからこそ、晴れて日本のパスポートを取得した時には、得も言われぬ感謝の念が湧いてきたのです。