たったひとつしかない「帰化選手枠」の重圧

日本への帰化が完了した僕ですが、感慨に長く浸る暇はありませんでした。すぐに日本代表の合宿に招集。そして、日本の自力でのワールドカップ出場権のかかったワールドカップ・アジア地区予選の最終Window6で、日本代表としてのデビューを飾ったのです。

当初は、他にも帰化選手が合宿に参加して、ひとつしかない帰化選手枠を争うことになるのだろうと予想していたのですが、実際には僕しかいなかったため、少なくともこのWindowではプレーをすることになったのです。

ただ、ひとつしかない帰化選手枠に収まるわけですから、コートに立てば本当に良いプレーをして、インパクトを残さなければいけません。

初戦の試合はアジアの強豪イラン。

コートに立った僕は、かつてないほど緊張していました。ユニフォームの胸には“JAPAN”の文字が刻まれています。

そう、僕はいま、日本という国を代表しているわけです。

二桁得点、二桁リバウンドの大活躍

ちなみに、僕は普段、それほど緊張しやすい人間ではないと思っています。しかし緊張をまったくしない人間などいません。国の代表チームでプレーをする立場となればなおさらです。僕がこの2試合以前に国の代表を務めた経験はなかったわけですし、日本代表の他の選手たちとの関係も深く築けていたわけではなく、トム・ホーバスヘッドコーチのシステムにどれだけ順応できるかもわからなかったので、緊張の度合いはより大きかったように思います。

日本代表としての第一歩はやはり特別な感情で臨んでいました。試合前に君が代が流れている時も、いろいろな人々がたどってきた道のりを考えながら感慨に包まれました。

様々な思いと緊張のあった僕でしたが、イラン戦も、その次のバーレーン戦でも二桁得点、二桁リバウンドの「ダブル・ダブル」を記録し、チームの連勝とワールドカップ行きに貢献することができました。

バスケットボールがフープを通過する瞬間
写真=iStock.com/Yobro10
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この2試合の選手たちの大半はBリーグの所属ではありますが、試合の時などに「やあ、調子どうだい?」と簡単な言葉を交わすくらいで、本当の会話というものをしたことがありませんでした。そういった選手たちをより良く知り、そしてチームとしてのケミストリーを確立するためには時間がかかります。