「園庭」はぜいたく品になってしまった

園庭があるかないかで、保育のやり方も違ってくる。いつでも安全に戸外遊びができる園庭があれば、子どもたちの状態や希望に合わせて臨機応変な保育ができる。古タイヤなど大掛かりな遊びの素材を持ち込んでダイナミックな遊びの環境を提供している園もある。何よりも自前の衛生的な砂場が持てることの教育的な意味は大きい。

普光院亜紀『不適切保育はなぜ起こるのか 子どもが育つ場はいま』(岩波新書)
普光院亜紀『不適切保育はなぜ起こるのか 子どもが育つ場はいま』(岩波新書)

保育室の窓から園庭が見えることは、室内の子どもたちの視野も広げる。園庭で跳ね回る上のクラスの子どもたちを、小さな子どもたちは興味津々で眺めていたりする。園庭は室内の閉塞感を減らしてくれる。こういったことすべてが、保育士の負担を軽減し、また、保育のやりがい、工夫する楽しみを増やすことにもつながる。ちなみに、幼稚園は園庭がなければ認可されない。

「保育園を考える親の会」では、首都圏の都心通勤圏の市区や政令市など100市区を対象に「100都市保育力充実度チェック」という年次調査を行っているが、この7年間で認可保育園の園庭保有率は著しく低下している(図表4)。特に、千代田区、中央区、港区、文京区などの都心区は、認可保育園のうち基準を満たす園庭をもつ園は2割以下、23区の平均も4割を切っている。

これらの自治体では、雑居ビルや空き店舗に入る認可保育園を増やすことで、保育ニーズの急増に対応してきた。いま保育ニーズの増加が頭打ちになり、待機児童数ゼロを宣言する市区が多くなっているが、園庭が少ない地域では、今後も園庭保有率が大幅に改善することはないだろう。園庭は「ぜいたく品」になってしまったのだ。一度劣化してしまった環境を戻すことは難しい。

商業施設には広大な公共スペースがあるのに…

地価が高い地域で園庭をつくれというのは無理ということが、当たり前のように言われてきた。しかし、それは土地利用に関する価値観の問題ではないだろうか。都心部でも、大規模な商業施設や地域の顔となるような公共スペースは、広々と快適につくられている。そんな大人のための建物群から少し離れた雑居ビルの中に、子どもたちがひしめき合って暮らす保育施設がある。これが、日本という国が子どもに対してとってきた姿勢だ。

地価が高い地域であっても、目先の費用対効果を度外視してでも、子どもが育つ環境を大人が保障しなければならないのではないだろうか。費用対効果は、そこで子どもが健やかに育つことで未来の時代に満たされる。市場原理に任せていてはこの調整は不可能だ。子ども自身はお金を払えない。

通常の市場原理に基づく経営感覚では、保護者の利便性で付加価値をつけることは考えても、子どもの快適さや発達ニーズに応えることは二の次になる。基準を設け、公益性のために公費を支出する行政による調整がなければ、子どもの育つ権利の保障は難しい。

【関連記事】
授業時間は他国と大差ないのに…民間人にはわからない日本の小学校教員の「給食を食べる暇もない激務」の背景
「精神科医が見ればすぐにわかる」"毒親"ぶりが表れる診察室での"ある様子"
冷却シートでは全然間に合わない…子どもに熱中症の症状が出たら即実行したい"最速で体を冷やす手段"
日本の先生はよく働くが大きな目標がない…インド出身の公募校長が「茨城の公立中高一貫校」で始めた学校改革
だから生涯結婚しない男女が増えた…社会学者が指摘する「結婚前の男女交際」40年前との決定的な違い