「途中で代えたら、絶対に勝ち切る」

プロ野球では、先発ピッチャーがリードを保ったまま5回まで投げてその試合に勝てば、勝ち投手の権利を手にすることができます。ところが、その後、リードしているにもかかわらず、途中でピッチャーを代えざるを得なくなることがある。

こういうときには、絶対に勝ち星をつけてやらないといけないと思っていました。ピッチャーを代えて逆転されたりすると、勝ち星はつかなくなってしまう。こうなると、「少なくとも逆転までは任せろよ」という気持ちが残ってしまう。

野球場の芝生にある野球ボール
写真=iStock.com/Bet_Noire
※写真はイメージです

「途中で代えたら、絶対に勝ち切る」

監督として、僕は自分の中でいくつかルールを決めていました。これも、その一つです。たくさんは必要ないと思いますが、自分なりのルールを持っておくことには、大きな意味があると思っています。

自分で思うことと違うことをやっても、試合に勝てれば、それでOKという考え方もあるでしょう。

しかし、自分なりにうまくいっている根拠がなかったとしたら、いずれは崩れていってしまうと僕は思っていました。そんなふうにならないためにも、自分の中で最低限のルールだけは決めておかなければいけない、と。

例えば、人と人とのコミュニケーションでも、もしかしたら嫌な思いをしたのではないか、と思える一瞬の表情があったりします。「はい」という返事が戻って来たけれど、「え?」という顔を実はしていたりすることもある。

最低限のルールは「絶対に人のせいにしない」

たったこれだけのことで、人間関係が壊れてしまったり、ビジネスでも商談がうまくいかなくなったりしてしまうものだと思うのです。だから、そういうことにならないように、自分なりのルールを定めておくのです。

僕が最も大事にしているのは、「絶対に人のせいにしない」ということです。監督時代にも、絶対に人のせいにしない、と決めていました。

栗山英樹『信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ』(講談社)
栗山英樹『信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ』(講談社)

僕が責任を問われて批判されることはまったく構わないと思っていました。だから、いつも「監督の僕のせいです」「僕の責任です」「オレが悪い」と言っていました。逆に、「オレが悪いじゃねえよ。ちゃんとやらせろ」と批判されることもありましたが。

「僕のせいである」と言うことは、僕自身として大事にしてきたことでした。僕は人間として力不足で、すぐに人に引っ張られたり、環境に左右されてしまったりするから、そう思っているのかもしれません。でも、これは貫きたいのです。

もちろん、人間だから、自分かわいさもあります。自分にとって、それはプラスかマイナスかも浮かぶ。それが浮かぶ自分が嫌ではありますが、浮かぶことはあります。

しかし、監督をやっていたとき、わかったことは、自分より先に選手のことや組織のことを考えないと、絶対に前に進まない、ということです。その意味では、監督になったことで気づけた、大きな転換だったと言えるかもしれません。

【関連記事】
大谷翔平を激怒させた「新居報道」にフジ社長は謝罪したが…"迷惑取材"をやめないテレビ局の本当の問題点
岩手県からメジャートップ大谷翔平を育て上げた花巻東監督が「野球部から東大合格者」輩出できた納得の理由
「夏の甲子園」を札幌ドームで開催するしかない…「日ハムがいない」と恨む前に大赤字の運営会社がやるべきこと
日本一の翌年に大失速…工藤公康がホークス監督2年目で痛感した「私のやり方でやってください」の限界
「かつては東大卒よりも価値があった」47都道府県に必ずある"超名門"公立高校の全一覧