「評価してほしい」という私心は捨てていた

監督というのは、自分の理想の野球を追いかける仕事ではないと僕は思っています。そのときにいる選手でどんな野球をやったら優勝できるのか。それを考えるのが、仕事だと僕は思っています。

選手を下の名前で呼ぶなど、密接なコミュニケーションをとってきた栗山元監督。自身の戦績や采配評価よりも、「選手にとって一番いいもの」を考えてきたという。
撮影=塚田亮平
選手を下の名前で呼ぶなど、密接なコミュニケーションをとってきた栗山元監督。自身の戦績や采配評価よりも、「選手にとって一番いいもの」を考えてきたという。

だから、チームの理想ではなく、指導の理想、そしてそれぞれの選手にとっての理想を、どこかでしっかり持っておかないといけない。そういうものをしっかり作っておかないと、なかなか前には進んでいきません。

理想がブレてしまうと結果やチームの状況に影響され、右往左往してしまう。

環境に支配されているうちは、人間ができていない証拠だ、と言われることがあります。しかし、人は環境に引っ張られてしまうのです。本来は、チーム状況や勝ち負けに引っ張られてはいけないのです。逆に、人間ができていれば、環境を支配できます。

どこに行くべきか、という形はイメージしたほうがいいですが、それは自分の理想ではありません。むしろ、選手の理想です。選手だったら、どうすることがうれしいか。

僕は監督として持っている価値観や、それを評価してほしいという私心はすべて消していました。「選手にとって一番いいものって何だろう」と常に考えていました。

これだけはさせてあげたい。こういうプレーができたらいい。そうした選手にとっての理想を持つ。指導者は、選手の理想を意識するべきだと考えていたのです。

褒めることは、心を開く作業でもある

これがブレなければ、「今日ヒットを打ったけど、これは打ち方がちょっと違うな」と言ってあげなければいけないときには、言うことができます。そういうことを強く意識していました。

結果が出る形を考える。新しく選手が入ってきたら、「彼の今のスイングであれば、あのピッチャーに対しての起用ならヒットが出やすいな」と考える。ただ、そんなことは本人には言いません。知らん顔をして、うまく使っていく。結果が出るように持っていく。そういう取り組みは、常にやっていました。

ただ、それでも結果が出ないときは出ない。だから、出なかったときの選手への言い方や、そこまで持っていくための話の順番などを最初から考えていました。

「今は結果出なくていいのよ、OK」「よしよし」「何かおかしかった?」といったところから入っていって、次に自分で要因を見つけてくれればいいと考えていました。

褒めるのは、心を開く作業だと僕は思っています。ちょっと心地良くなったときのほうが、人は心を開く。逆に、文句を言われたり、これこれをしろと言われた瞬間に攻撃的になったり、反発しようとする可能性が高くなる。言葉が心に入っていかなくなる。

聞く環境を作ってあげるために、褒める。逆に、聞く環境があるのであれば、あえて褒める作業は必要ないかもしれません。