“新大陸発見”は功績か屈辱か
コロンブス、ナポレオン、ベートーヴェンに扮したバンドメンバーの3人が、類人猿に西洋文明を授け、人力車を引かせ、敬礼させるなどの内容のMVについて、ボーカルの大森元貴氏は「類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く」と謝罪文で伝えた。その言葉通りに本人たちに悪意はなかったのだろう。
西洋中心の視点に立ったならコロンブスの“新大陸発見”は大きな功績だ。しかし、その反面、ヨーロッパ人の支配下に置かれたアメリカ大陸の先住民と後に奴隷として強制連行されたアフリカ系の末裔の立場に立てば、それは払拭できない屈辱の象徴なのだ。
“新大陸発見”の後にアメリカ大陸に渡った多くのヨーロッパ人植民者が、キリスト教的宗教観と西洋的価値観を持たない先住民やアフリカ系の人々を対等な人間として扱わなかったことを踏まえれば、コロンブスが類人猿(人に似た猿)に西洋文明を教える構図が、今なお残る負の遺産も含めたヨーロッパ人植民者と先住民の支配・被支配の関係を想起させるのは当然だ。
20世紀半ばまでドイツ、フランス、ベルギーなどに人間動物園が存在したことは、植民者のみならず、ヨーロッパ社会が最近まで各地の先住民を人間扱いしてこなかったことの証拠だ。
ブラジルの歴史は「黒人の奴隷化」で形成された
西洋人による“新大陸”の植民地化と支配が北米にとどまらなかったのは史実の通りだ。むしろブラジルを含むラテンアメリカにおいてその支配は、より凄惨であった。ラテンアメリカ諸国において、先住民系あるいはアフリカ系の市民が社会の下層に押し込まれている状況は今なお変わらない。
ブラジルは多人種・多文化国家として知られるが、“ブラジル発見”の1500年からこれまでの524年の歴史は、決して共存共栄の社会ではなく、入植者が先住民の土地や生活、価値観を侵し、黒人を奴隷化する圧倒的な人種ヒエラルキーの上に国家が形成されてきたのだ。
ブラジルが宗主国ポルトガルから独立したのは1822年と200年以上前のことだが、奴隷制廃止論者ジョアキン・ナブーコ(1849~1910年)が自著で「奴隷制度はブラジルの国家的特徴であり続けるだろう」と予言したとおり、植民地政策と、それを実行するための手段であった奴隷制の負の遺産は現在もなお根深い。