自分ばかりしゃべる社長
昭和36(1961)年秋、幸之助が九州のある取引先の工場を訪れたときのこと。
30分ほど工場を見学し、そのあと社長、工場長と10分間ほど歓談した。
帰りの車中で幸之助は、随行していた九州松下電器の幹部に言った。
「きみ、あそこの会社、経営はあまりうまくいっていないな」
「どうしておわかりですか」
「工場を一見したら、まあ、だいたいわかるわ。それと、さっきのあの社長さん、あの人より経験の深いはずのわしがせっかく行っているのに、わしから何か引き出そう、何かを聞き出そうという態度にちょっと欠けとった。自分ばかりしゃべりはったな」
「必ず成功すると思うし、必ず成功させねばならん」
昭和27(1952)年、松下電器がオランダのフィリップス社と合弁で設立した松下電子工業は、設立後何年間か、きわめて苦しい状況が続いた。そのころ開かれた新聞記者会見の席上でのことである。
「あなたは通産省や銀行、社内でも必ずしも賛成でなかったオランダのフィリップスと技術提携をし、たくさんの資本を投下して立派な工場をおつくりになった。けれども、経営成績はどうですか。聞くところによると、もうひとつ成果が上がっていないようですが……」
「ええ、そのとおりです。不景気ということもあったのですが、もうひとつ成績があがっておりません」
「将来はどうですか。あなたの技術提携は失敗ですか」
「いや、決してそうは思いません。私も何回も失敗ではないかと思って反省してみました。しかし必ず成功する。そう信じています。というのは、そもそも私がオランダのフィリップスと技術提携をしたのは、松下電器の発展のためでも松下幸之助という名前を世間に広めるためでもない。日本のエレクトロニクス工業を早く世界の水準に持っていきたい、という一念からのことです。決して私心でしたのではありません。ですから私は、必ず成功すると思うし、必ず成功させねばならんのです」
記者は沈黙した。