パナソニック創業者の松下幸之助は、どのような働き方をしていたのか。PHP理念経営研究センターの編著書『松下幸之助 感動のエピソード集』(PHP研究所)より、一部を紹介する――。
中曽根首相(当時)と会談する松下幸之助
写真=共同通信社
中曽根首相(当時)と会談する松下幸之助=1983(昭和58)年3月26日、首相官邸

幸之助が自転車置き場でしていたこと

電池式のナショナルランプが普及しつつあった昭和初期のことである。

幸之助が訪れるというので、四国のある代理店の主人が船の着く桟橋へ迎えに出た。改札口から見ていたが、タラップを下りてくる大勢の人の中では、小柄な幸之助をなかなか見つけられない。

ようやく見つけ出して合図を送ると、幸之助もそれにこたえた。ところがそれからいつまでたっても、幸之助は姿を現わさない。不審に思った店主は幸之助を探し始めた。

なんと、幸之助はもう日没が迫っているというのにひとり、桟橋横の自転車置き場で、無灯火の自転車が何台、電池ランプつきが何台と、一所懸命にその数を調べていた。

「血の小便」を出したことがあるか

系列の代理店、販売会社の社長懇談会が開かれたときのことである。

一人の社長が切々と訴えた。

「最近、商売が思わしくなく、儲からなくて困っています。何かいい方法がないものでしょうか」

その会社は、40年にわたって、松下電器の代理店として実績を上げてきた会社であった。幸之助は尋ねた。

「あなたは、お父さんの店を引き継いで、すでに二十数年になりますな。現在では4、50人の社員を使っておられる。この不況の中で利益が上がらないというのも一面無理からぬことかと思います。しかし、あなたはこれまで、小便が赤くなるほど心配されたことがありますか」

「いえ、私には、まだそういう経験はございません」

そこで幸之助は、こんな話をした。

「それはいけませんな。あなたのお店がうまくいっているのなら、なにも小便を赤くすることはありません。しかし、40年も続いているお店が、あなたの代になって、非常にむずかしい事態に直面している。そんなときに、まだ小便が赤くなるほど心配もしないうちから、儲からないからなんとかならんかと訴えるのは、間違っているのではないですか。

かりにも、4、50人の社員の将来というものを背負っている社長としては、決して十分尽くした態度とは言えないと思います。今日のようなむずかしい環境の中で小便が赤くなるほど心を労せずして、商売を発展させ、4、50人の人たちの安定をはかる道は、そうあるものではありません。

世の中はそれほど甘くはないと思います。ですから私はここで、製品を安くしましょうとか、メーカーとしてなんとかしましょうなどと言うことはできません。それこそ、あなたご自身が、まず、どうしたら利益を上げることができるか、小便が赤くなるまで真剣に考えていただきたい。そうすれば道は必ず見つかるはずです」