子供の意見を大事に扱い改善に向けて働きかける

結果として子どもはどんどん受身になります。

怒られないように、というのが最優先されるために子どもは監督が指導したこと以外は決してやらなくなるのです。だからそうした環境下では、イチローや野茂のようなオリジナリティーにあふれたバッティングフォームやピッチングフォームは決して生まれません。

冗談みたいな話ですが、清水さんに言わせると、これが少年野球で非常によく見る光景だそうです。

では、良い監督はどのように指導するのでしょうか。清水さんの話をもとに、先ほどのケースを再び考えてみましょう。

子どもが高めのボール球に手を出し空振りをします。でも子どもの主観では、当然振ったその瞬間はあたる! と思っているわけですから、その肯定的な意図は認めてあげて、「いいぞ、あたると思ったらどんどん振っていいぞ!」と言います。

それから、どこかに良いところを見つけてあげて「今のは確かにあたらなかったけど、スイングスピードはけっこう速かったぞ」などというふうにちゃんとほめるのです。

もちろんそのままにしておくわけではなく、改善に向けて働きかけもします。

「高めのボールはなかなかあてるのが難しいもんだよ。どんなところに手を出したらより確実にあたる気がする?」

一方的に「これを振れ!」ではなくて、相手の意見を大事に扱うのです。「この辺でしょうか?」と、少しさっきより低めの位置を指し示した子どもに対して「そういう場所をね、ストライクゾーン、打つとあたるところ、っていうんだよ」と、子どもの意見に承認を与えます。

子供に野球を教える父親
写真=iStock.com/RichVintage
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良い監督はアクノレッジメントのシャワーを浴びせる

そして子どもが再びバットを振ると、今度は前に飛ばないまでもチップします。「おう! 今度はチップしたなあ」と小さな成果に対して体全体で賞賛します。

この頃には子どもはもう自分で考え始めるそうです。「次はどこに手を出せば前に飛ぶんだろうか?」と。それで、ついにボールが前に飛んだら、「やったじゃないか‼」と大賛辞です。

どうも「良い監督」は、子どもに問いかけることも含めて、アクノレッジメントのシャワーを浴びせかけているようなのです。

一昔前までは、怒ってどなって根性一本槍の監督でも良かったのかもしれません。苦しさを乗り越えたところにこそ大きな幸せがあると思えたあの時代は。

自分に向けられたアクノレッジメントが少なくて、内側がざわついたとしても、それをぐっと抑え、ただひたすら巨人の星に向かって走り続けることができました。

あの時代、星一徹は星飛雄馬に対して「飛雄馬、どんなボールが投げたいんだ?」などと相手の意見を尊重することでアクノレッジする必要はなく、「飛雄馬、大リーグボール養成ギプスをつけろ!」で良かったわけです。

父親や先生や監督は「権威」として機能していたし、それに続く選手たちや子どもたちは、真面目に言うことを聞けばそれで成長できると思えたものです。