【マイケル・サンデル】まだ20代のころのことだ。英オックスフォード大学大学院の留学から戻り、准教授としてハーバード大にやってきたとき、同大学で長く教鞭を執っていたロールズに初めて出会った。
私は、オックスフォードで、ロールズを厳しく批判する論文を書き、学会の注目を集めていた。その論文は、のちに、私の1冊目の著書『リベラリズムと正義の限界』(勁草書房)にまとめた。
執筆時は、ロールズとの面識はなかった。そこで、私の赴任を知った友人の学者が、ロールズに私のことを一報した。ハーバードに到着して間もなく、研究室の電話が鳴った。受話器を取ると、「ジョン・ロールズですが」という声が耳に飛び込んできた。電話口の男は、「R-A-W-L-S」と、ラストネームのスペルまで読み上げた。もちろん、この私が、彼だと気づかないはずがない。ロールズは、私をランチに誘ってくれた。以来、私たちは、折に触れて意見交換の場を持ち、お互いの主張に耳を傾け合った。
確か2000年前後だったと思う。学期の終わりごろ、「正義」の最終講義を聴講しないかと、ロールズに声をかけた。議論を挑むためではない。彼は、議論好きなタイプではなかった。非常に物腰が柔らかく、静かで、シャイといってもいいくらいの人物だった。とはいえ、講義の最中、われわれは、正義と政治的リベラリズムについて意見を交わし、ロールズも、満足した様子だった。何人かの学生からの質問に丁寧に応え、テキストへのサインまで申し出てくれた。とても楽しいひと時だった。それからしばらくして彼は他界した。私たち2人は、最後まで、いい関係を保っていた。ロールズは、とても優しい人だった。
私が講義で試みるのは、学生に賛否両論を学ぶ機会を与えることだ。