今日の授業では、アリストテレスの政治と法の役割について議論した。ある学生は、「政治は、経済成長ばかりを問題にするのではなく、目指すべき国家のモデルや人間のあり方など、より高い次元の議論をするべきだ」と主張した。聴講生全員に賛否を問うと、45%の学生は、「ノー」を突きつけた。「いや、それは危険だ。政治や法が、個人の人格や徳にかかわると、少数派に多数派のモラルや価値を押し付け、圧政につながりかねない」と。

私個人としては、現代政治は、国内総生産(GDP)や個人消費ばかりに腐心し、より大切なものを忘れているように思う。だが、コースの最終段階まで、それは明かさない。学生たちがさまざまな意見に耳を傾け、議論を重ねていくことが非常に重要だからだ。

日韓で社会現象も、米国では「旋風」起きず

拙著『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)が、日本や韓国でベストセラーになっていると聞く。なぜそれほどまでに支持されているのか――。10年8月、東京大学での講義のために来日したときにも、行く先々で、その質問をぶつけられた。そのたびに、私はこう答えた。

「その理由を探るためにここにいるのです」

日本や韓国で、私の本が社会現象ともいえるほど大きな支持を受けているのは、アジアにおけるモラルの揺らぎを反映しているのではないかという声も耳にする。だが、私はそうは思わない。

実際、日本での滞在を通して感じたのは、価値や倫理をめぐる大きな問いかけについて考えたい、といった渇望が社会にあふれているようにみえることだ。考えを押しつけるのではなく、深い思考へといざなう本への渇望、である。