「この人に子育ては難しい」とわかっていたのに…
乳児院から家庭に戻った三女は津市、児童家庭支援センター、保育園に見守られながら育っていくことになる。ところが、扇の要がきまらないまま、複数の部署がバラバラに母子を心配し、どこまで責任を持って関わったらいいのか不安を抱えながら、踏み出すことをせずに2年2カ月が漫然と過ぎていった――。そのように読み取ることができる。
さらに、未受診で多産だった母親が、上の子2人の養育についても問題を抱え、児相との関わりがあったことがわかった。三女を出産する前から、児相は母親による養育に困難があることを把握していたのだ。
その母親が三女を赤ちゃんポストに連れて行った事実が熊本市の児童相談所から三重県児相に伝えられると、三重県は三女を一時保護して熊本市に保護を委託。2週間後には家庭訪問して母親と面談をしている。なのに、この作業を経ながらも、三女について独立したケース記録は作成されていなかった。三女は養育に困難のある母親のもとに生まれた。だが、行政から注意深く関心を持たれることはなかった。
母親と行政との間に信頼関係ができていなかった
「しかし、いちばんの問題は、行政が孤立出産を軽く見たことでしょう」
検証報告書が公表された翌4月、検証委員長を務めた神戸学院大学法学部教授の佐々木光明氏(専門は刑事法)は筆者の取材に対し、このように振り返った。
佐々木氏は別の検証委員とともに2023年12月、熊本市の慈恵病院を訪問。「こうのとりのゆりかご」がどのように母子を受け入れているのか、病院から説明を受けたという。
「母親が預け入れに来院した当時の様子についても、接触した慈恵病院新生児相談担当の責任者の方から話を聞きました。預け入れた理由について、経済的な困窮に加えて、児相に怒られる、児相に上の子をとられると話していたようです。これらの言葉からは、こうのとりのゆりかごに預け入れる前から彼女と行政の間に信頼関係ができていなかったことがわかります。
私も実際にこうのとりのゆりかごの前に立ってみて実感したことですが、あそこまで赤ちゃんを連れて行ったことがどれほど差し迫った行為だったか、もっと多角的に彼女の背景を分析して理解しなくてはならなかったと思います」