孤立出産したことを両親に打ち明けられず
母親はこうのとりのゆりかごに預け入れたその場で「ゆっくり考える時間がほしい」と話し、三重県に戻った。そして翌日、「自分で育てたい」と、電話で個人情報を開示していた。2週間後、三重県の児相が自宅アパートに面会に訪れ、三重県の乳児院への措置移管と、いつ家庭復帰させるかに向けた話し合いが始まっている。
児相は三女が母親のもとに戻るための条件として、自ら育てたいとの意思を重視し、経済的状況の確認、そして三女の出産のことを母親の両親に話し、子育てについて両親の支援を受けること、三女を保育園に通園させること、などを示した。
だが、孤立出産した事実は、両親との間に妊娠を打ち明けられる関係がないことを意味する。この条件付けには母親が複数回孤立出産したことへの考慮が抜け落ちていた。さらに、条件が揃うまで母親は三女との面会を制約され、乳児院で初めて面会できたとき、実に1年5カ月が経過していた。
「この条件付による制約が母子間の愛着形成を阻害し、その結果、母親は何度も『自分の子だという感覚がない』と児童家庭支援センターの担当者に訴えていました。母親とお子さん、双方にとってあまりに酷な条件だったというほかはない」(佐々木氏)
「困難を抱える女性」を救うことはできるか
検証報告書発表の翌月、2024年4月、困難女性支援法が施行された。家庭をはじめとする人間関係に孤立し、経済的に困窮するなど、社会的リソースを持たず困難な状況に追い込まれている女性を支援することを目的とする。
東京・歌舞伎町の「トー横」や大阪・ミナミの「グリ下」といった歓楽街で、全国から集まった若年女性が心身の危険な状態に置かれている問題が明らかになっている。彼女たちの多くは家庭に安全な居場所がなく、オーバードーズやホストクラブへの過剰な売掛金の清算のために違法風俗を強制されるなどしている。こうした女性の孤立防止を目的に、議員立法によって成立した。
翻って、この事件の母親が妊娠した具体的な経緯について検証報告書は触れていないが、母親は複数回の妊娠と孤立出産をしていた。もう1人の当事者である男性からも親からも助けを得られていない。少なく見積もっても、1人で妊娠期の不安に耐え、1人で出産の恐怖を乗り越え、1人で育児に奮闘した女性を、これ以上孤立させないための支援は必要だった。