「自分の子どもと実感できない」
母親は三女との関係に悩んで、SOSを出していた。それも、1度ではない。2度、3度と彼女は言葉にして伝えていたのだ。引き取った4カ月後の2021年8月、母親の相談にのる役割だった児童相談支援センターは、母親との対話をこう記録している。
同年10月には、複数の部署が、誰も三女の姿を1カ月以上確認していない事実を共有している。半年足らずですでに母子の生活は破綻していた。同月、久しぶりに登園した三女の足には立てないほどのかぶれがあった。姉の次女は「鬼がやってきてやった」と言い、母親は「ベッドから落ちた」と説明し、保育園が2人の説明の違いに違和感を持ったことがうかがわれる。
同じ月、母親は再び「ママと呼ばないことなどが気になっている」と児童家庭支援センターの担当者との電話で打ち明けている。
年が開けて2022年2月、三女の顔と耳に痣を発見した保育園が、児相への虐待通告に踏み切ると、母親は家庭という密室に三女を囲い込むようになる。断続的だった登園は2022年7月以降完全に途切れた。そして2023年5月に死亡したとき、三女の体重は激減していた。その間、社会から断絶された家の中で女児がネグレクトされていった経緯は裁判で明らかになった(第1回で詳述)。
年度末の多忙を理由に引継ぎが行われず
5つもの部署が子どもの身に迫った虐待を知っていながら、なぜ放置することになったのか。検証委員会は関係者へのヒアリングにより、組織構造にもとづいた原因を突き止めた。
本件は、家庭復帰した2歳2カ月までは児童相談所が、家庭復帰以降は津市が主責任部署だったが、主責任部署が児相から津市へと切り替わった2021年3月末、児相と津市の間での引継ぎは行われていなかった。
本来なら児相と津市の虐待対応部署、そして、関係する家庭児童支援センター、保育園、モニター事業者(津市からの受託により家庭訪問をする)が一同に会して引継ぎケース会議を行うはずだった。しかし、人事異動のある年度末だったために、業務の忙しさと対処時期が重なり、開催は見送られたという。
また、三女が家庭復帰した時点で児相は措置解除をした判断についても、半年ほどをかけてゆるやかにフェードアウトするべきだったと報告書は指摘した。