「元号」とうまく付き合うために
いや、もともと「元号」とは、その漢字(元の号)の通り、記号に過ぎない。新しい時代の始まり、という記号であり、「令和」の記号化とは、原点に戻っただけととらえるべきなのだろう。だから、タブー化についても、あまり深刻に受け止めなくても良いのだろう。
記号として、必要に応じて使い分ける、そんな程度の作法を、良くも悪くも、私たちは身につけているのであり、過剰にタブー視して、崇め奉ってはいないからである。そのためには、天皇御一家への尊崇の念が昂じるあまり、皇室や皇族をめぐる議論が、感情論に流れ過ぎたり、罵詈雑言が飛び交ったりするような、そんな事態だけは避けなければなるまい。
「平成」が5年を過ぎたころには、今回のように元号をもとに時代を振り返る雰囲気はほとんどなかった。当時の天皇陛下の記者会見でも、もとより「平成」の5年間についての質問すらなされていない。今は、それぐらい「令和」に注目が集まっているとも言えるし、逆に、それぐらい意識しないと味のない記号のままだとの危機感があるのかもしれない。
「令和」が、このまま記号化とタブー化の2方向に進むとしても、あるいは、別の傾向を見せるとしても、この元号を通して、国民の象徴である天皇をはじめ、皇室・皇族について考えを深めるきっかけにできよう。皇族数の確保、といった、数字だけではなく、この国のかたちをどうするのか。そのために元号は、日々の生活のなかで貴重な補助線を引いてくれるに違いない。