日常生活で元号を使う人は半数に満たない
丸谷氏の述べる通り、元号は縁起ものであり、一世一元を定めるまでは、大火事や戦乱などのムードを変えるために、たびたび改元していた。その流れに棹させば、パンデミックや戦禍、大災害が続く「令和」についてもまた、「最悪の名づけ」との評論があっても不思議ではない。
しかも、元号を決めるプロセスについては、情報公開が進んでいる。毎日新聞が報じたように、「平成」を決めたときに比べれば、「令和」に関しては「残されている内容が多い」ため、「将来、公開されれば、秘密のベールに包まれた元号選定の一端が明らかになる可能性は高い」。
元号の神秘性は薄まり、自由に語れるように変わってきているのではないか。そう考えるのが妥当なのかもしれない。
さらに、朝日新聞が改元の前(2019年3月)に行った調査によれば、日常生活では「新しい元号」を使うとの答えが40%に対して、「西暦」が50%との回答だったという。「昭和」から「平成」への代替わりにあたっての調査での回答(66%対25%)から逆転しており、「元号」は、ふだんの暮らしからも遠ざかりつつある。
にもかかわらず、「令和」を悪く言う声は、目立たない。
「令和」と天皇の結びつき
それどころか、「令和」の時代の天皇や皇后、さらには、愛子さまについては、ネット上もマスメディアも、諸手を挙げて褒め称えるばかりではないか。いまの天皇御一家が、「平成」の間に、どれほどのバッシングにさらされてきたのかを思い起こすと、隔世の感では済まない、転生したかのような目眩を覚える。
「令和」は「新しさ」を意味するとともに、天皇や皇后、愛子さまを含めた御一家のイメージに直結しているために、悪く言われない。そう、考えられるのではないか。元号=天皇=時代の図式が消えたからこそ、「令和」=天皇御一家=いま(新しさ)へと形を変えたのではないか。
それゆえに、「令和」も天皇皇后両陛下も愛子さまも、みんな等しく悪くは言われないどころか、シンパシーしか見られない。ドラマ「不適切にもほどがある!」でもまた、「令和」はコンプライアンス過剰と、おちょくられ、「生きづらい」とされるとはいえ、全否定されはしない。もちろん、「令和」が現在であるのだから受け入れるほかないのだが、それでも、「平成」を「最悪」だと評した丸谷才一氏のような見方はない。
ここに、元号、というよりも、「令和」へのタブー化を見てとれるのではないか。