むしろ官学は経済的に不合理
官学が全廃されて民業圧迫がなくなれば、教育は市場原理に委ねられることになる。高いレベルの教育には高値がつき、低いレベルの教育には安値がつくという当たり前の現象が発生する。
福澤は、「学問教育も一種の商売品」なのだからそれでよいのだ、と説く。次のような批判が寄せられることは、もちろん百も承知である。
第一に、高い学費を払えない者は進学を諦めるので、就学者数が減って「学問の衰微」を招くのではないか。これに対して福澤は、社会全体で教育熱が高まっており、景気が悪くなっても生徒数は増加の一途なので心配はまったくない、と反論する。
たしかに慶應義塾の入塾者数を見ると、徴兵令改正の翌年1884年こそ前年比108人減の223人に落ち込んでいるが、その後順調に回復し、1887年までの3年間で271人、435人、514人と飛躍的に増えている(坂井達朗・松崎欣一「解題」『書簡集』第四巻)。
就学熱を肌で感じていたからこそ、学費値上げによる影響はたかが知れていると確信できたのだろう。
加えて福澤は、政府の教育への注力は「財政之困難」のため長続きしないと踏んでいた。この頃米国に留学させていた子息に宛てた手紙には、「他年一日、日本之教育ハ私立学之手ニ落つ可きハ誠ニ睹易き数」とある。(『書簡集』第五巻)。
貧乏人を教育から締め出す
慶應義塾の学生に対する同時期の演説では、国税や府県税を合わせた国民全体の教育費負担は1200〜1300万円程度と推定し、絹糸の輸出高約1400万円の大半にあたる金額が教育に費やされていると指摘している(「社会の形勢学者の方向、慶應義塾学生に告ぐ」)。
教育に注力するあまり財政は早晩バランスを失い、教育を私学に委ねざるを得なくなる、と考えたのだろう。
第二に、授業料が払えない貧乏人を教育から排除することは許されない、という批判が想定される。これについて福澤は、貧乏人を教育から締め出すことを明確に肯定した。
金持ちはよい服を着て美食するが、貧乏人は粗末な衣食で満足するしかない。これが世の常態である。
世の中の法則では、金持ちの子弟が高度な教育を受け、貧乏人は低いレベルの教育で満足するのがむしろ当たり前なのだ。福澤はこう断言した後で、官公立学校がすぐれた教員陣や施設を整えつつ、学費を安くして「貧家の子弟」に門戸を開放していることを批判した。