一気に広がっていく「ネガティブなイメージ」

「難易度的にはそれほど高くない箇所なのですが、どろどろの壁だったんですよね……。草がばあっと生えていて、壁面にも土が乗っていた。そのとき、少しだけ気持ちが萎えたというか、ネガティブなイメージが一瞬、自分の中に生じてしまった。それで足が滑ったのですが、要するに頑張り切る動きを引き出し切れなかったんじゃないか、と思います」

サラテでのクライミングでは、平山のオンサイトトライをアメリカ人のハンス・フローリンと鈴木隆英という二人のクライマーがサポートしていた。一度、二人のいる場所まで降りた平山は呆然自失となった。

胸には一瞬のうちに生じた「ネガティブなイメージ」が一気に広がっていった。

「いや、ユージ。まだこっちからいけるよ」

鈴木が言った。

当初、想定していたオリジナルルートでのオンサイトは終わったが、フォールを喫したピッチには幸いにも二本のルートがあった。よって三人のいる場所からは、もう一本のバリエーションルートがまだつながっていた。フリークライミングのルールでは、ルートを新しいラインに変えてクライミングを続ければ、オンサイトは続行されるということになる。

だが、平山は鈴木の提案を、すぐに受け入れられる気持ちにはなれなかった。フォールを喫した現実を咀嚼するのに時間がかかったからだ。

物を取るだけで腹筋がひきつる状態

700メートルというクライミングを続けてきた結果、強烈な疲労が全身を覆っていた。状態はさらに悪化し、物を取る動作をしただけでも腹筋がひきつる。フォールする寸前は手も岩をつかむ形のまま固まってしまい、指を岩に押し当てて伸ばさなければ次の動作に移れなくなっていた。

自分の身体がそのような状態のなかで、果たしてバリエーションルートに切り替えたところで、オンサイトを成功させることができるのか。身体の回復を持つことができない以上、自身を内側から突き動かす心の状態を作り出す必要があった。

平山はそれから1時間ほど、自分が何をすべきかを考え続けた。バリエーションルートに取りつける精神状態になるまでに、それだけの時間がかかったということだ。

「正直、投げ出すつもりにはならなかった。サラテの物語をここで終わらすことは、できないとは思っていた」

と、平山は言う。

「これだけのことをやってきた、という自分の思いも当然ありましたが、それ以上にあのとき頭に浮かんできたのは、この挑戦を応援してくれてきた人たちのことでした。ここで諦めてしまう無念さ、これまでにかけてきた時間、そして、サポートをしてくれている二人のクライマーや下にいる妻、スポンサー探しをしてくれたマネージャー、上で待ってくれているカメラマンさんやその家族……。巻き込んできたいろんな人たちの顔が、次から次に浮かんできました」