※本稿は、和田秀樹『老後に楽しみをとっておくバカ』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
老化のサインは意外なところから
50歳前後になると、人は誰しも、あるサインを感じ取ります。
40歳前半くらいまで「当たり前にできていたこと」が、ふいに難しくなる……。
そう、「老い」のサインです。
わかりやすいのが、視力です。
まず、本を読むのが億劫になります。小さな文字がかすんで読みづらくなります。気がつけば、スマホの画面をうんと目元から離してピントを合わせようとしていないでしょうか?
電車に乗って、広告や行き先を表示するトレインチャンネルを見ようとしたら、ぼやけてよく見えないなんてことは?
間違いなく、老眼です。
老眼になると文字や画像がぼやけることになるので、情報のインプット量がガクンと減ってしまいます。
また現代社会はデジタルテクノロジーの進化によって、経済も文化も人々の価値観もすさまじい勢いで変化していますが、ふと、その変化についていけなくなっている自分に気づきます。
「新しい何か」を吸収しにくくなっているのです。
「もうデジタルの最先端にはついていけないな……」
「おっさん(おばさん)だから仕方ないか……」
数年前までは意地でも口にしなかった言葉を、つい口走ってしまいます。いや、口走りたい言葉そのものを思い出せなくなる瞬間も増えます。「あの映画、良かったよねえ。ホラ……なんだっけ、ホラ。あの女優が出ていた……あの女優だよ、ホラ、なんて名前だっけ?」と、聞き手にしてみればまったくノーヒントの会話になっていたり。
友人、知人、有名人……、以前はよどみなく出てきた人の名前も、たびたび思い出せなくなる瞬間に遭遇します。
想起力(思い出す力)の低下です。
些細な会話で感じる自分のふがいなさに、小さなイライラがたまっていきます。
ため息とイライラを積み上げたまま、1日を終え、お風呂に入る。
このとき自分の顔を、風呂場や脱衣所の鏡でふと見つめます。
老眼のため見過ごしていましたが、鏡に近寄ってよく見てみれば、顔にはシワやシミが増えていることに気づきます。