川の流れのように

「毎日毎日を悔いのないように生き、人々との出会いを大切にしながら、よく食べよく眠って元気に明るく生きていく、言い換えれば『自分に正直に生きていく』」。これが出口さんのモットーだ。これにしても小学校の黒板標語。「よく食べよく眠って元気に明るく」というあたりは幼稚園の先生でも言いそうなことだ。

だが、そこから深淵な哲学が立ち現れる。「人間は自分の意思や意欲だけでは必ずしも物事をなしとげることができない。チャンスを必死に求めたからといって、それなりの成果が得られるほど世の中と人間は単純ではない。そもそも人間が願ったことは99.9%実現しない。だから事前に人生の設計図を決めてかかり、そこに向かってひたすら努力するような人生はつまらない」という考え方である。ありとあらゆる歴史書を読み、先人の事跡を学んだなかで、出口さんが掴み取った信念だ。川の行方は見えない。だから川の流れに身を任せ、自然体で生きていこう。これがと出口さんのスタイルである。

そもそも出口さんが日本生命に入社したのも、司法試験に落ちて、たまたま滑り止めとして受けていたのが日本生命だっただけの話だという。「文化系の人間のやる仕事は、企画とか経理等が中心であり、その対象が生命保険であっても鉄や自動車であっても、さしたる違いはない」。ようするに、どこでもよかったという話である。

「川の流れに身を任せ、自然体で自分に正直に生きよう」という出口思想と重ね合わせると、ライフネット生命の起業の経緯もさらに味わい深く読み取れる。生命保険業界からすっかり遠ざかって、ほとんど余生を過ごすような感じでいた出口さんに、谷家衛さんが「いっしょに保険会社をつくりましょう」と提案する。初対面で谷家さんに好感を持った出口さんは、直感で「いいですよ」と即答した。

この話をするとメディアからよく「谷家さんに会った時は、どんな資料を持参されたのですか」と聞かれるそうだ。出口さんは手ぶらで谷家さんに会いに行っている。これまたよく聞かれる「還暦に近い年齢で起業することに抵抗はなかったですか」という質問に対しては、「若いときに谷家さんに出会わなかったのでしかありません。年齢はこれまで一度も意識したことはありません」との答え。まさに川の流れのように。言行一致の人である。「思いつき」や「気まぐれ」ではない。普段から確固たるスタイルで生きているからこそ、即断即決即答で起業に動き出すことができた。

谷家さんは、出口さん、岩瀬さんの3人が初めて顔を合わせたとき、出口さんと岩瀬さんはそれぞれに自分のプランを提案した。この話が象徴的だ。

「会議室に入ると、中肉中背の若者がいました。私の娘より若そうだ、というのが第一印象でした。これが、パートナーとなる30歳(当時)の岩瀬君との初めての出会いだったのです。彼は、分厚いプレゼンテーションの資料を用意していました。ニッチな損害保険会社をつくりたい、という内容でした。私は何も用意していませんでしたので、岩瀬君のプレゼンを聞いたあと、ペンを借りてホワイトボードにライフネット生命のアイデアを示しながら話をしました。その後少し議論をして、私のアイデアでいこう、ということになりました」

このくだりを読むと、ライフネット生命は、まさに出口さんの生きざまがそのまま現実になった会社なのだということがよくわかる。思いもよらず起業に至った経緯を振り返って、出口さんは決意する。

「ゼロから生命保険会社をつくる機会に恵まれたことは、ほとんど僥倖に近いという思いでした。ならば徹底して自分に正直になり、自分が思うとおりの理想の生命保険会社をつくらなければ、僥倖に恵まれなかった他の人々に対して申し訳がないという気持ちで一杯になりました」

あくまでも謙虚で穏やか。ふつうに考えれば、敵は旧来の生命保険業界が温存している「プロクルステスの寝台」なのだから、どうしようもない生保業界を変えるために立ち上がりました!といった、勇ましくも攻撃的な話になりそうなものだ。しかし、出口さんは日生時代を振り返って「本当によい会社とよい上司に恵まれた」と、むしろ深く感謝している。

「わがままな私に、これだけ自由に、伸び伸びと仕事をさせてくれた会社は、多分、日生をおいてほかにはなかったことでしょう。その恩義に報いるためには、ライフネット生命を成功させて、わが国の生命保険を少しでもよくすることしかないと念じています」

業界の体質だけではない。保険のような免許制事業では、監督官庁の融通のきかなさや規制の複雑さなどを思い切り批判したくなるのが常だが、出口さんの話にはそうした攻撃的なトーンがまるでない。

創業準備の段階で、出口さんは、金融庁のウェブサイトの保険会社にかかわる部分を過去5年もさかのぼって丁寧に読み込むということをしている。その上で「金融庁は健全な競争を望んでおり、新規参入を忌避しているわけではない。必要な条件を備えさえすれば、親会社に保険会社がなくても必ず免許を取得することができる」と確信する。5年分もウェブサイトの資料を自ら読み込んだのは、「さりげない文書の行間にちりばめられている金融庁の真意を探ろう」としたからである。出資する側からしたら、1934年以来、1社もとっていない生命保険業の免許がほんとうに取れるのか、これが最大の懸念事項だった。出口さんが「必ずもらえます」と自信をもって答えた背後には、自分の頭と目をつかった膨大な作業があったのである。

生命保険のような業界であれば、監督官庁が規制対象に手を差し伸べたり、すべてをクリスタルクリアに説明したりすること自体はそもそもありえない。手続きはややこしくて当たり前、と割り切っている出口さんは、他者を批判したり文句を言うことなく、自分でまず動く。ことほど左様に、出口さんはあくまでも「ハンズオン」の姿勢で仕事をする。社長である出口さんが自ら申請書類のほとんどを書き、担当官と直接交渉をしている。だからこそ、保険業法や金融庁の監督方針がより深く理解できる。言われてみれば当たり前だが、なかなかできることではない。

「謙虚」というと、どことなく受け身で静かにしているようなイメージがある。なにかをしてもらうことを待つのではなく、自分から動いてこそ、本当の意味での謙虚さなのだということを思い知らされる。