ビリヤニはペルシア人の料理人が作った炊き込みご飯が起源

ムガル帝国の統治で重要な役割を担ったのが、ペルシア人官僚だ。歴代皇帝のもとで要職に就いていた。宮廷での公用語も、ペルシア語が用いられた。さらに芸術面でも、絵画や建築様式、そして詩文にもペルシア文化の影響がもたらされていった。こうしたペルシア文化の影響は、料理の分野にも及んだ。そのなかで、後のインド料理の「大スター」となる料理が形成されていった。

ムガル帝国を建国し、初代皇帝となったバーブルが1530年に死去すると、息子のフマーユーンが第2代皇帝となった。彼はベンガル地方を占領したアフガン系の将軍との戦いに敗れ、インドから撤退することになった。退避先はペルシアで、亡命生活は1540年から実に15年に及んだ。

フマーユーンは1555年にインドに帰還するが、その際にペルシア人の料理人をおおぜい連れてきたという。彼らが作る料理の中でも、ごちそうと見なされたのが炊き込み御飯のプラオだった。

米をターメリックやサフランを使って色鮮やかに炊き上げたり、鶏肉やレーズン、ナッツを加えたりしてバリエーションも豊富になっていった。インドではこれに豊富なスパイスが加わり、「ビリヤニ」と呼ばれるようになった。

チキンビリヤニ
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独自の進化を遂げた「インド中華料理」

世界中どこに行ってもある可能性が高い料理をひとつ挙げるとすれば、それは中華料理になるだろう。インドでもご多分に漏れず、中華料理がある。ただ、かなり独自の進化を遂げているという点が特徴的だ。こうした料理をインドでは「インディアン・チャイニーズ」、つまり「インド中華料理」と呼んでいる。

筆者が何人かと一緒に、デリーの中華料理店へ夕食を食べに行ったとしよう。そのときのオーダーは次のようなものが考えられる。

スイート・コーンスープ/チキン・ロリポップ/ゴビ・マンチュリアン/チリ・パニール/シェズワン・フライドライス/アメリカン・チャプスイ/デーツ・パンケーキ

この中で「引っかかる」キーワードがあるとすれば、そのひとつは「マンチュリアン」ではないだろうか。マンチュリアンとは「満洲の」「満洲人」といった意味だ。では、これは満洲料理を表すのかというと、そうではないのだ。実はこのマンチュリアン、中国ではなくインド発祥なのだ。考案したのは、ネルソン・ワンという中国系インド人。

ネルソン・ワンが生まれたのは、1950年。両親ともに中国系移民だったが、生後まもなくして父が他界し、ワンはやはり中国系の里親に引き取られることになった。新たな父親はシェフで、ワンは料理への興味を抱いていった。