生命を懸けずに、どうやって儲けるんだ!
喜八郎がすごいのは、ある程度大きな商売ができる立場になった後も、捨て身の戦術を続けることができた点です。
戊辰戦争の最中、喜八郎のもとに勤王方の津軽藩から、大量の鉄砲・火薬の注文が入りました。
ただし、「わが領地まで運んでくれたら、代金を渡す。が、代金はお米で払いたい」という条件付きの依頼でした。
当時の奥州は、津軽藩以外の各藩はことごとく佐幕派の奥羽越列藩同盟に加盟していましたから、津軽藩の周りは敵だらけです。
そんな中を鉄砲や火薬を運んでいたら、見つかって積荷を没収される可能性があります。勤王方=敵のもとに武器を運んでいるのですから、生命の危険もあったでしょう。
喜八郎の使用人たちは反対しました。なにも無理をして、こんな条件の悪い取引をする必要はありませんよ、と。
ところが当の本人は、「生命を懸けずにどうやって儲けるんだ!」と言い放ち、この無謀とも思える商いを強行したのでした。
喜八郎はアメリカの船をチャーターし、アメリカ国旗を掲げて武器を運びました。
リスクをとらなければ成功できない場面に向き合えるか
偽装はうまくいき、津軽までは無事に辿り着くことができたのですが、大きい船を浅瀬に入れることはできません。積み荷を小舟で降ろさなければならないのですが、小舟は諸藩に徴収されていて、なかなか手に入りませんでした。
ふつうの商人なら、ここで諦めてもおかしくはありません。
しかし彼は寺を回って、住職たちから袈裟を買い集めました。袈裟の材料には、金帛(金と絹)が使われています。その金帛の切れ端を、偽装した官軍の制服の肩につけ、ニセ官軍となって小舟を集めたのです。
使用人たちは「本物の官軍にバレたら殺されます」と諫めましたが、喜八郎は「この取引ができなければ、そもそも私は赤字で首をくくらなければならん」と取り合いませんでした。
結果的に、武器弾薬を陸にあげることができ、代金であるお米を受け取り、どうにか無事に彼は生還を果たしました。
喜八郎のような生命懸けの戦術を、そのままマネすることは難しいでしょう。
ただ、皆さんもリスクをとらなければ成功できない場面に向き合うことがあると思います。そんなときに、ある意味で開き直って勝負してみることは、大事なことではないでしょうか。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ということだと思うのです。