さて、本題に入ることにしよう。今回は、ODAプロジェクトの現場を実際に訪問する機会を得たので、ODAについて書きたい。まずは、図を見ていただこう。図は、主要開発援助委員会(DAC)加盟国のODA実績(支出純額ベース)の推移を示している。なお、支出純額ベースとは、円借款の供与額<償還額を意味する。
日本は、90年代においてはアメリカを上回り、第1位のODA実績を誇ってきた。その後、01年から05年まではアメリカに次いで第2位のODA実績を有していたものの、06年にイギリスに抜かれ第3位に落ちた。さらに07年以降はドイツとフランスにも抜かれて第5位に転落したままである。また、日本のODAの対国民総所得(GNI)比率(10年)は0.20%であり、DAC加盟23カ国の中では第20位であった。さらに、国民1人当たりのODA負担額は86.5ドルで、第18位となっている。このように、日本によるODAが国際的に相対的地位を低下させていることは明らかである。
ODAの形態には、二国間援助と国際機関を通じた援助(国連児童基金<UNICEF>などへの拠出)とに分けることができる。二国間援助は、贈与あるいは政府貸付の形態を取る。贈与は開発途上国に対して無償で提供される協力のことで、「無償資金協力」と「技術協力」がある。一方、政府貸付は、将来、開発途上国が返済することを前提として低金利返済期間の長い緩やかな条件(譲許的な条件)で開発資金を貸し付ける援助形態であって、「有償資金協力(円借款)」と呼ばれる。10年実績の支出純額ベースで二国間援助の総額74.3億ドルのうち、無償資金協力が34.7億ドル、 技術協力が34.9億ドル、政府貸付(有償資金協力)が4.7億ドルであった。
日本の二国間ODAの供与相手国は、供与額が多い順に支出純額ベースで10年にはインド(9.8億ドル)、ベトナム(8.1億ドル)、アフガニスタン(7.5億ドル)、トルコ(5.4億ドル)、パキスタン(2.1億ドル)となっている。特に、アフガニスタンとパキスタンについては、タリバンなどのテロの脅威に対処するために、09年11月に、09年から5年間で最大約50億ドルの「アフガニスタン・パキスタンに対する日本の新たな支援パッケージ」が発表された。この支援パッケージにおいて、治安能力向上のための支援や元タリバン兵士の社会への再統合のための支援や持続的・自立的発展のための支援が行われている。
このように、ODAにはその時々の世界共通の課題を解決する目的を反映して実施されるプロジェクトがある。一方において、地道に供与相手国の経済発展に貢献しようという目的からODAのプロジェクトが形成され、実施されるものもある。
後者の例としてジャカルタ漁港のODAプロジェクトの現場を見学するために訪問した。訪問した先は、78年からジャカルタ漁港のODAプロジェクトに参画して、現在でもジャカルタ漁港に関わっている開発コンサルタントの折下定夫氏(オリエンタルコンサルタンツ)であった。
折下氏が書かれた「虹の設計-ある開発コンサルタントの記録-」によれば、日本政府がインドネシア政府の要請を受けて、ジャカルタ漁港とその魚市場の整備計画のための調査を、国際協力機構(JICA)の前身である海外技術協力事業団(OTCA)の調査団が73年11月から74年にかけて実施し、その報告書に基づいて日本政府がジャカルタ漁港プロジェクトを円借款で実施することを決めた。77年に当時の海外経済協力基金(OECF)がインドネシア政府との間にジャカルタ漁港プロジェクトのエンジニアリングサービスの資金援助の円借款契約を締結した。コンサルタント選定において入札の結果このプロジェクトを受注したのが、折下氏が当時、在籍していたパシフィック・コンサルタンツ・インターナショナルであった。