『源氏物語』の末摘花の落ちぶれ皇族感はすさまじい
この末摘花の貧乏ぶりというのが凄くて、先祖伝来の家土地は手入れをする人もいないから荒れ放題。
女房たちの食事風景は、食器こそさすがに上等な舶来物であるものの、めぼしいおかずもない。
服は普段着でも昔ながらの礼装だけれど、新しいものは入手できないので、時代遅れな上に、汚れて真っ黒になっている。
何もかもすっかりなくした『うつほ物語』の女君と違い、古き良き暮らしの名残があるだけ、「落ちぶれ」のリアリティが感じられるのです。
そこでかわされる会話もしけています。
「ああほんとに今年は寒い。長生きするとこんな目にもあうものなのね」
と泣く者もいれば、
「故宮(末摘花の父・親王)が生きていらした時、なんでつらいなんて思ったのかしら。こんなに貧しくても生きていけるものなのね」
と寒さに震える者もいる。
セリフの中身からもうかがえるように皆、年寄りです。若くて有望な人はよその屋敷に転職してしまうので、残っているのはどこも雇ってくれないような老人がメインになるわけです。
そのせいか、皆、無気力で、風で灯りが消えても、ともす者もいない。人手不足な上、いくら働いても何ももらえないから、投げやりになっているのです。
末摘花の不美人設定は、美貌至上主義への反発か
それでも門番がいるあたりは、さすがに皇族の風格を感じさせますが、この門番というのがまたよれよれの年寄りで、門はがたがたに傾いているから、開けることができない。源氏が訪れるようになる前は、門を使うような高貴な人の訪れもなかったのでしょう。非力な門番は、孫だか娘だか分からないような年ごろの女に助けられながら、門を引っ張る。その頭にはどんどん雪が降り積もっていくという悲惨さです。
こんなにも貧しいわび住まいをしている上、容姿も醜い末摘花。普通の男なら逃げだしたくなるに違いありません。ところが源氏は違います。
「自分以外の男はましてこんな関係には我慢できようか」(我ならぬ人は、まして見忍びてむや)(「末摘花」巻)
そう思い、「自分がこうして馴れそめたのは、彼女の亡き父宮が、彼女を案じるあまり残していった魂の導きなのだ」と考えて、結婚を決意する。このあたりはちょっとリアリティに欠けてはいるのですが……。ここは、美貌至上主義の当時の価値観に挑戦した、紫式部の実験小説的な要素が強いのではと思うゆえんです。