攻撃を読んで、それをこちらが先に行えば、負けるはずがない

宗茂は一人の武将としても屈強でしたが(タイ捨流しゃりゅう剣法免許)、戦術を巧みに操って兵を動かすのが得意な指揮官でもありました。

戦術を決めるというと、軍議の席で地図を見ながら協議するイメージがあるかもしれませんが、宗茂は現場に斥候せっこうを放って情報を多面的に集め、敵の布陣、地勢を徹底的に調べ、ときには自ら出向いて、軽く攻撃を仕掛け、相手の反応を確かめたりもしました。

可能な限り、自ら現場に足を運んで“現況”を理解し、それをもとに具体的な戦術を立てるのが宗茂のつねでした。

自分だけは安全な場所にいたまま、部下からの現場報告をもとに作戦を立てるような指揮官は少なくありません。が、それでは連戦連勝、不敗の成果をあげることは難しかったと思います。

戦う現場指揮官として、立花宗茂ほど、それ以前の10代において、実父の高橋紹運、養父の戸次道雪べっきどうせつ鑑連あきつら)の二人に、実地で鍛えられた武将はいなかったでしょう。

あるとき、「あなたはなぜそんなに強いのか」と豊臣家の同僚大名に問われた宗茂は、次のように答えたといわれています。

「彼のなすところをもって、これを我がなせば、すなわちたざることなし」(『名将言行録』)

相手が仕掛けようとしている攻撃を読んで、それをこちらが先に行えば、負けるはずがない、と宗茂は言っているのです。

そのためには徹底して自らを鍛え、敵以上の「戦術」を組み立てるべく、現場に出て、ありとあらゆる情報を集め、可能性を考え、それらに対処する方法を考える必要があります。

そういえば、防衛大学校仕込みの「5×4×3×2×1」方式で戦略を考える、というのを聞いたことがあります。まずは5通りの大きな作戦を考え、それぞれが失敗した場合の代案を4通り作り、さらにそれが失敗した場合の3案、2案と策を練るという方法。

もし、この方式通りにやったとすれば、おそらくいかなる事態に遭遇しても、慌てることなく対処できたに相違ありません。

分析し、最善の策を考え、次善の策を用意し、もしもことごとく不測の事態が生じたときは、さらなる第三の策を考えておく。

これでどうして、敗れることがあるのでしょうか。

戦いの敗因の大本は、つねに“油断”につきます。

チェス
写真=iStock.com/simpson33
※写真はイメージです

大軍の急所を突けば、敵は一気に崩れる

島津氏や毛利氏のような、戦国の大国の主ではない宗茂は、大友氏の家臣として、少数の兵を率いて大軍と戦うことが多かったため、戦術を使ってひっくり返す道を探るしか、勝つ方法、生き残る道がありませんでした。

ふつうに戦っても勝てない相手に対して、どうすれば勝てるのかを考える必要があったのです。

そのため宗茂は、敵情を探るための“物見”を何度も、何人も、繰り出しました。

敵の布陣を徹底的に調べて、ウィークポイントを探し出していくのです。

宗茂はどれほど敵の数が多くても、必ず手薄な部分(弱点)があることを、数多くの合戦経験から熟知していました。

もちろん、物見をしただけでは、どこの部隊が弱いのかがハッキリしない場合もあります。

そんなときは、緒戦でウィークポイントと思われた箇所を、自らわずかな兵を率いて、軽く突いてみます。こちらの攻撃に対する相手の反応を見て、やはりあそこの動きが鈍い、弱そうだ、崩せる、と目算をつけていくのです。

そして合戦では、敵の弱い部分を狙って集中攻撃を加えます。

百戦錬磨の立花軍が一糸乱れぬ動きで、敵の弱点を錐が回転するように突いていくのですから、相手はひとたまりもありません。

多くの場合、敵陣はそこから崩れていきました。

宗茂の攻撃は、敵が大軍であればあるほど、効果を増します。