拒絶反応
その日から山口さんの体に異変が生じ始めた。
母親の姿を見ると身体が硬直し、手は震え出し、唇は真っ青になる。めまいと吐き気に襲われ病院へ行くと、メニエール病の診断を受けた。その後も突発性難聴、自律神経失調症などを発症した。
それでも休むことなく働いていると、母親が「こんな利益じゃ給料は払えないし、銀行へ返済できない。もっと利益を出せ」と追い打ちをかける。
「母は私を含む部下に仕事を丸投げするようなところがあり、自分は気ままにカラオケやボランティアに精を出していました。それに不満を抱きつつも、私は全力で仕事に取り組んできました。私が、『社長も遊んでいる暇があるなら、少しは仕事をとってきてください』と言うと、『あんたは70過ぎたお婆さんに仕事させる気? お兄ちゃんは優しかったけど、あんたはひどいね』と都合の良いときだけ年寄りぶっていました」
そして連帯保証人になって一年も経たないある日のこと、再び銀行の営業マンが会社を訪問。「保証人さんも同席お願いします」と言われる。
話の内容はこうだ。
「会社の借入金の返済がきつい」と母親から連絡があったため、返済期間を延ばすのだという。疑問を感じた山口さんは、「この前の借入したお金はどうなったんですか?」と母親にたずねる。
すると母親は、「今まで会社のお金が足らないとき、私が立て替えて出してたから、(借入金は私の口座に)全部戻してもらってもうないよ」と平然と答える。本当に立て替えたのか、いくら立て替えたのか。すべては藪の中だった。
「え? もうない? ないのに返済が苦しいからって、月々の返済額を減らして返済期間を延ばす……? 70歳を過ぎた母親の借金の返済期間を延ばすことができるのも、私という連帯保証人がいるからできることでしょうけれど、意味が分かりませんでした」
連帯保証人になった手前、自分にも関わる話だからと、山口さんは勇気を振り絞って質問や意見をしてみたが、「あんたは経営者じゃないからわからんのよ。たかが雇われ店長のあんたにはわからん」と一蹴された。
再婚と絶縁
山口さんが44歳になったとき、長男は就職し、長女は高校生になっていた。山口さんはふと、これからの自分の人生を考えてみた。
「子どもたちが巣立っていけば、私は一人になる。それは寂しい。子どもたちがいなくなれば、私は実家に呼び戻されるかもしれない。再婚した方がいいのではないか……」
そう思った山口さんは、結婚紹介所に登録してみることに。登録から1カ月後、男性を紹介された山口さんは、何度か面会するうちに、その男性との再婚を決意する。
そんなある日の仕事終わりに、山口さんは母親に切り出す。母親には結婚紹介所に登録したことも交際を始めたことも伝えていた。
「あの……私、再婚したいと思っています。(再婚相手が)今度のお休みに挨拶にきたいと言ってるんだけど、大丈夫?」
すると母親はすごい形相をしつつもうなずいた。そして当日。予約したレストランへ男性と向かう。山口さんの母親が待つテーブルにつくと、「初めまして。この度……」と男性が挨拶を始めた途端、母親はそれを遮った。
「あなた、うちの借金がいくらあるか知ってるの?」
瞬時に「破談にする気だ」と察した山口さんは、母親を止めようとする。しかし男性は平然と答えた。
「はい。聞いています」
「へぇー……じゃあ、あなたが払ってくれるわけ?」
山口さんが「あ〜、もう終わった……」と思って下を向くと、「はい。僕も協力したいと思っています」と男性は毅然として言う。
母親は一瞬面くらい口ごもったが、
「はいはい、どうぞ勝手に結婚でも何でもしてくだい。あんたらは幸せになればいい。私は一人で生きていきます。親子の縁を切りましょう。あ、それからあんたクビね」
と言って山口さんをにらみつける。
「母はお得意の『親子の縁を切る』を持ち出せば、私が結婚をやめると思っていたのでしょう。今までずっとそれで言うことを聞いてきたから。でもさすがの私ももう限界でした。悩むことなく私は『絶縁とクビ』の方を選びました」
その瞬間、激昂した母親はレストランという場所だということも忘れ、一方的に山口さんを罵倒する。
「どこの馬の骨ともわからん人を急に連れてきて、今まで育ててもらった恩も忘れて! あんたは自分のことしか考えてない! あんたがどんなに悪い人間か、私がこの人に教えてやろうか? あんたは子どもたちと私を不幸にした! あんたは人を不幸にする! あんたはクビだ! いつ出ていく?」
言うだけ言うと母親は、一人で立ち去っていった。
「母はもともと破談にする計画だったのでしょう。家出した兄の代わりに家業を継ぎ、会社の借金の連帯保証人にさせられ、必死で働いてきた22年間は一体何だったのでしょう?」
母親の車が去っていくのを呆然と見届けたあと、男性の車に乗った山口さんは、子どものように声を上げて泣いた。その日は山口さんの45歳の誕生日だった。