能登半島地震で、被災地の復興が課題になっている。評論家の八幡和郎さんは「被害が深刻な被災地は、もともと過疎化が進んでいる地域だ。多額の税金をかけて限界集落を元通りにするよりも、大胆な特区制度を導入するなどして、移住したくなるような地域につくり変えるべきではないか」という――。
能登地震/焼け落ちた「輪島朝市」周辺
写真=時事通信フォト
大規模火災で焼け落ちた石川県輪島市の「輪島朝市」周辺=2024年1月3日、石川県輪島市

奥能登の人口はどんどん減り続けている

能登半島地震の復興について、「一日も早く元の地域や生活を取り戻せるように、政府はすべての資源を投入すべきだ」といった声が聞かれる。高市早苗経済安全保障相が2025年大阪・関西万博の開催延期を検討するよう岸田首相に進言したという報道もあった。

だが、あまりにも愚かである。そもそも、能登半島は極端な過疎化が進んでいた地域である。とくに被害が大きかった奥能登(輪島市・珠洲市・能登町・穴水町)の人口は、1950年に15万7860人だったのが、平成が始まった直後の1990年に10万4676人、2023年10月1日には5万5666人と激減した(※)。さらに、「石川県の将来推計人口」によると、2045年には2万9284人にまで減ると推定されている。

※「いしかわ創生総合戦略有識者会議」参考資料、「石川県の人口と世帯」より

震災がなくてもわずか3万人足らずしか住まないだろうと予想され、その数字は震災でさらに減ることが予想されているのに、それも承知の上で、情緒的に巨額の資金を将来において利用価値がますます減少するインフラ再建に漫然と投入することは馬鹿げている。

安直な土木工事よりもすべき施策がある

さしあたっては震災関連死などを防ぎ、被災者が人間らしい生活を確保できるようにすることだが、復興については、すぐに人がいなくなるような限界集落を復元することではなく、能登半島の未来志向の将来ビジョンを描き、その実現のために安直な土木工事主体でなく、大胆な特区制度などを用意して目を見張るような前向きの地域づくりをすることだ。

珠洲市の見附島のように観光資源が修復不可能になってしまった一方、半島北部沿岸の「海岸段丘」のように自然の驚異を観察するのに好適な震災観光資源も生まれている。

それらも活用した「創造的復興」のためには、それなりの時間がかかるのは当然だ。そして、そのコンテキストの中で、これまでの分散居住から集住に移行していったほうが合理的だろう。

私は、阪神淡路大震災の発生時に国土庁の官房参事官だったので、直接の担当でないが震災復興にかかわったし、国土開発問題の専門家として阪神淡路大震災でも東日本大震災でも議論に加わり、同様の提言をしてきた。さらに、自然災害に限らず、新型コロナ禍などあらゆる災難に対して、「禍を転じて福と為す、千載一遇のチャンスという気持ちを持つ者こそが災難との戦争の勝者となる」と訴えてきた。