多くの人に歴史を誤解させる

だが、墨俣城の天守の場合、きっかけが特異だった。竹下登内閣の発案で昭和63年(1988)から、国が地域振興を旗頭にして各市区町村にばら撒いた「ふるさと創生基金」なのである。

その1億円をもとに総工費7億円で建てられたのがこの天守だ。内部は歴史資料館として利用されているので、どこかの自治体がつくった純金のこけしやカツオよりはマシだろうか。

しかし、多くの人に歴史を誤解させることを考えれば、正負の価値が相殺されて、こけしやカツオと変わらない気もする。

城を訪れる際には、天守が現存しているのか、復元なのか、復興なのか、復興の場合、史実を反映しているのか、天守がない城に建った天守ではないのか、事前に調べることをお勧めしたい。

脳内で天守の姿を変えたり、消したりしないと、歴史的な景色を誤解しかねないのが、日本のお寒い実情なのである。

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