「セクシー」が持つふたつの意味

テレビドラマ化の際、原作をかなり変更されたことに悩んでのことだといわれているが、今となっては作者の芦原妃名子さんの本当の思いなど誰にもわからない。

ただし、芦原さんはあれほど読者を大事にされていたのだから、読者がそれぞれ自分の中で別の物語を創作したり、世界を広げていくことは、喜んでくださると思う。

このマンガによってセクシーには別の意味もあるのを知ったと前述したが、ふとそこから思いつき、セクシーの対義語は何かと調べてみた。

直截的には、否定を表すUNやNOTをつけてアンセクシー、ノットセクシーとなるが、それでは情緒に乏しい。そんなことを考えていると、思いがけない発見をした。

虚を突かれた感じにもなったのは、セクシーに「清楚」「清純」といった解説もあれば、「猥褻」「卑猥」とする向きもあるのだ。

なるほど、セクシーの対義語が「清純」であるのも納得できる。一方で、「猥褻」はセクシーの類義語であるから、セクシーの対極の言葉と考える人もいるのだった。

題材がベリーダンスだった理由

そこから私は、もし逆に田中さんが朱里をうらやみ、一般男性に受ける服装や化粧をして婚活に励んだら、と想像してみた。

絶対、そこにベリーダンスは選択されないだろう。なぜならそこではベリーダンスのセクシーは、卑猥の類義語となるからだ。朱里が田中さんに興味を持たず、当初の目標通り「堅実なそこそこの男」との結婚を果たしていたら、やはりベリーダンスはどこにも関わってこない。もしベリーダンスを見ても、セクシーは卑猥でしかないだろう。

現実では、婚活に励むアラフォーも趣味でベリーダンスはしているし、そこそこの男と結婚した若い女性も楽しみでベリーダンスはしているが、やはりこのマンガの2人は「背筋を伸ばしたくて始めて」「背筋を伸ばせた」ベリーダンスだからこそ結びついた。

赤い衣装を身に着けてベリーダンサーがダンススタジオで踊っている
写真=iStock.com/Paulina Rojas Gonzalez
※写真はイメージです

ゆえに私は、『セクシー田中さん』におけるセクシーは、猥褻の対義語である、清楚に一票を投じる。田中さんはセクシーでありつつ、清楚だ。ベリーダンス姿を猥褻と見る人はいても、田中さん本人がセクシーを貫いているから。