第一夫人になっても安心できない、正妻の座を奪われることも

結婚式をあげ、正式に貴族社会に公表したのが妻だった。そのなかで正妻格が、北の方である。何人かの妻に通っているときは、ある程度たつと正妻格の妻と同居するようになる。同居している妻が、北の方と呼ばれた。倫子は、常に道長と同居しており、北の方と呼ばれた。

服藤早苗『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(NHK出版新書)
服藤早苗『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(NHK出版新書)

道長の父兼家の妻のうち、当時、北の方と呼ばれているのは時姫だけであり、道綱母が、北の方と呼ばれている史料はない。北の方こそ、何人かの妻のうち、正妻格であった。『源氏物語』では、光源氏の北の方は、まずは葵上、次に紫上、女三宮が降嫁すると女三宮が、北の方と呼ばれている。

北の方は、一生涯安定した地位ではない。新しい妻と結婚したとき、その妻の方が身分が高い場合、新しい妻と同居し、新しい妻が北の方となる。しかし、前の北の方と離婚するわけではないので、前の北の方は、妻の一人になる。「はじめの北の方」「今の北の方」「まま母の北の方」など、いろいろな呼び方があるのはこのことを示している。正妻といっても、けっして油断してはいけなかった。

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