正妻・倫子の姪など、七、八人と関係した「まめな男」道長
道長が結婚式をあげた正式な妻はこの2人であるが、妾は多い。なお、先述したように妾も「つま」とよまれた。しかし、訓はおなじでも、立場はだいぶ違っていた。次に、この妾たちを紹介しよう。
『栄花物語』(巻八)に次のような話がある。
一条殿(故太政大臣藤原為光)の四の君は、鷹司殿に移り住んでいたのを、殿の上(倫子)の御消息が度々あって、お迎えなさって、姫君の御具(相手役)になされたので、道長殿はいろいろ指図して世話をしているうちに、まじめに愛情をかけるようになられた。家司なども皆定めて、本格的にお世話されている。
為光の四の君には、花山院(退位した花山天皇)が通っていた。しかし、花山院が亡くなったので、倫子は、娘の相手役の女房にした。道長は、それに情愛をかけ、家司なども定めて本格的に世話をした、という。つまり、妾の一人にしたのである。当時の言葉では、身の回りの世話をする女房で性愛関係を継続させている女性を「召人」とも呼んでいた。妾と同じ立場である。
紫式部の同僚で美人と評判のバツイチ女性とも性愛関係に
道長の妾は、このように妻や娘の女房たちが多い。もう一人あげてみよう。倫子の兄弟扶義の娘(大納言の君)は、故大納言源重光の息子則理を婿取っていたが、離婚になったので、彰子に仕える女房になった。容貌がたいへんよかったので、道長が目をつけ召人にした。倫子の姪であるが、倫子は、「他人ではないのだから」と許したという。
大納言の君は、紫式部の仲のよい同僚で、『紫式部日記』に出てくる。
大納言の君は、たいへん小柄で、小さいといってもいい方の人で、色白でかわいらしく、むっちりと太ってはいるけれども、みかけはずいぶんすらっとしてみえ、髪は背丈より三寸ほど長く、毛先の具合や生え際などは、とにかく比べものにならないくらい気品があって、愛らしい。顔もとても賢い感じで、立ち居振る舞いなんか、洗練されていて、もの柔らかだ。
紫式部にも、なかなか評判がよい。髪が長く真っ直ぐなのは、美人の条件である。当時の人々が、「道長をあれほど夢中にさせる女と別れたとは、則理はみる目がない」と非難したのも、美人で、上品で、利発だったからであろう。もっとも、男女の仲は相性であり、どんなに才色兼備の妻でも、うまくいかないものは、しかたがない。それは今も昔も同じである。
他に道長の妾は、七、八人いる。また、紫式部と性愛関係があった可能性も指摘されている。