当時、富士フイルムとコダックは共に「タック」を利用したアニメーションのセル画用フィルムを生産していたが、富士フイルムがより高性能なフィルムを開発したのをきっかけに、アニメ用をやめる方針を固めた。しかし、生産をいきなり停止すると映画業界に大きな影響が出るため、「タック」の営業一筋できた浜直樹FPD材料事業部次長が、コダックにアニメ用相当分も引き受けてもらえるよう交渉に向かった。

「いろいろな厚みの板をつくるよりは、液晶パネル用に特化したほうがいいと決断して、アニメ用はコダックに頼みにいったんです。薄層塗布技術としては液晶用のほうが断然難しいので、彼らはそちらの道を選ばず、アニメ用を淡々とやる道を選んだ。それが今の状況につながるわけですが、今から考えると、20年ほど前のここにもコダックが経営破綻に向かう芽はあったのかもしれません」

浜がコダックに交渉に行った93年頃、わずか20億円だった偏光板保護フィルムの売上高は、20年弱で100倍の約2000億円に拡大した。

富士フイルムHD 会長兼CEO 
古森重隆 

実は、「タック」には、トップの古森重隆自身、忘れられない思い出があるという。古森が産業材料部にいた若き頃の一幕だ。

「昭和40(65)年不況のとき、『タック』の売り上げは伸びないし、写真フィルムが好調でしたから、こんなものはやめようという話になったんです。僕は担当だから『やめるのはやめてくれ。何とか頑張って新たな用途を開拓するから』といって、会社に泊まり込んで技術屋さんと一緒に潜在市場を調査した。それで『タック』は延命したんですが、あれでやめていたら完全になくなっていた。『タック』を使った液晶用の保護フィルムが1つのコア事業になったのは、運命の邂逅を感じるね、僕は富士フイルムのために生まれてきたような男だ、と」

古森は、自信に溢れた表情で話し、破綻したコダックとの違いを俎上に載せた。

「うちの多角化の幅と深さが、彼らとは違ったと思います。コダックは極めて写真オリエンテッドなカメラ屋できたのに対し、うちは早くから多角化を経営の柱に据えてきました。あの当時、液晶用材料製造のベースを持つ会社は、うちとコニカ、コダックとアグファだったのですが、コダックとアグファにはできなかったんですよ、やはり生産技術の差ですね」